:玉川信明の本二冊

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『放浪のダダイスト 辻潤―俺は真性唯一者である』(社会評論社 2005年)
『大正アウトロー奇譚―わが夢はリバータリアン』(社会評論社 2006年)


昨年10月9日の『エコール・ド・パリの日本人野郎』に続いて、玉川信明の胸をわくわくさせるようなタイトルの本を二冊読みました。両書とも同じ時代を書いていて、共通するのは、『エコール・ド・パリ』を読んだときにも感じた、戦前日本の人間のおおらかさです。


 『放浪のダダイスト 辻潤』のほうが、一人で一冊というボリュームのせいか、処女作だけあって著者の入れ込み方も強いせいか、思想的な遍歴が詳細にかつ共感をもって熱く語られていて、面白く読めました。

 辻潤については、若かりし頃、『唯一者とその所有』や『一青年の告白』(ともに改造文庫)を読んで、人間中心の思想や、世紀末的美意識に大いに影響されたわけですが、ご本人の書いたものは読んでませんでした。

 伊藤野枝と別れるまでの辻潤は、勉学に精励する苦労人で、本をよく読み、よく考えていたようです。『方丈記』や『徒然草』による東洋的な考え方の涵養、『里見八犬伝』や『椿説弓張月』のような稗史講談本の多読、そして幸田露伴泉鏡花への偏愛、キリスト教から社会主義への思想的変遷を経て、ショウペンハウエル、スティルナーへの傾倒。周辺のキリスト教者や社会主義者たちも描かれ、そういう意味では、前半はキリスト教から社会主義の受容に至る明治大正の思潮風土史としても読むことができるでしょう。

 伊藤野枝大杉栄のもとに去ってから、酒が生活の中心になってくるのと、いろんな仲間との交遊が激しくなって、あちこちを放浪するようになり、あまり本も読まなくなってしまいます。なまじ『天才論』『唯一者とその所有』などの訳書が当たり小金が入ってきたばかりに、生活が乱れてしまったと思われます。

 いろんなつてを頼って他人の家に何か月も滞留したりしますが、この時代は、辻潤以外にもいろんな人物が他人の家に滞留して、大きな顔をして生活しています。こういうことは現代では考えられません。かろうじて思い出すのは、大学時代歯ブラシを持って友人の下宿を渡り歩いていた男がいたことぐらいです。社会人では見たことも聞いたこともありません。

 性の乱脈ぶりも戦後の比ではなさそうです。伊藤野枝のあとには、小島清、松尾季子という女性と同棲しますが、菊村雪子という愛人もいて、その妹とも関係したり、雪子が下宿していた大家の六十に手の届きそうな婆さんともともねんごろになるなど、辻潤の女性関係はまさに尋常ならざる境地に達しています。女性も女性で、雪子は別の男性と同棲していたり、林芙美子辻潤の求愛に気軽に応じているみたいだし、いったいどうなっているのか(羨ましい)。

 途中までは私の主義趣向に合う辻潤の生き方考え方に共感するところが多かったんですが、天狗が憑依し狂気の発作を起こして全国を放浪しあちこちの警察にご厄介になるあたりからは、付き合いきれない感じがしてきました。


 『大正アウトロー奇譚』では、大正期に青春期を送りアナーキズム的な思想をはぐくんだ九名のアウトローが紹介されています。九名のうち、獏与太平、岡本良知、逸見直造、和田栄吉については、名前も知らなかったし、他の五名についても、そんなに詳しくは知りませんでした。

 この本でも、時代のおおらかさ、悪く言えば野蛮さ、乱暴さを感じました。彼らには合理的な精神、身の保身を考えるバランス感覚というものはありません。社会運動の修羅場の中で動きながら身に着けた知恵というものがあり、やくざの論理と共通するところがあります。実際やくざとの接触がよく見られるように、その世界に近いところで生きていたことが分かります。

 とくに岡本良知はこの九名の中では異色の学者畑の奇人で、もっと知りたいと思いました。


 印象に残ったフレーズを下記に。

自己が最も真摯になって居る時は、自己の一部一部でない、全体が一つに燃えているのだから、その時の作物に感情の情熱ばかり現れる筈はない。智情意一体の心熱が現れるのだ。言い換えれば、熱想的自覚である。こうなると、宗教は意力、哲学は智力、芸術は情で行くという様な区別は、誰にでも幼稚なことが知れよう/p148

彼は「酔生夢死」という古語を愛したが、酒を呑もうと呑むまいと、生活全体において酔漢であることを欲した/p168

犬や猫や植物やなにかには別段目的もなにもなく、ただ生きてゆけばそれでいいように思われる、人間だってやはり結局生きればいいのだ、唯それだけの話なのだ(「きゃぷりす・ぷらんたん」)/p202

われわれが生活の中で価値があると思っていたり、正しいと思っていたりすることは、大概誤解か錯覚に基づくものである。あらゆる価値と正義をハギトリしてゆけば、最後に残るものは健康と無智でしかない。われわれは健康と無智においてのみ幸福を得ることができる/p203

なによりかれが[多く考え少なく読む]まことの思想家であったからであろう(花田清輝)/p310

辻は人間を捨て、犬や猫の弟子たるべく旅に出た/p363