:ピエル・ロティが若き日を回想する物語三篇

///

ピエル・ロティ津田穰譯『少年の物語』(岩波文庫 1943年)
ピエール・ロチ大塚幸男譯『青春』(白水社 1941年)
ピエール・ロチ大塚幸男譯『死と憐れみの書』(白水社 1952年)


 岡谷公二の『ピエル・ロティの館』に感銘を受けて(10月5日記事参照)、異国物以外のロティ作品上記三作を読みました。未読と思っていた『死と憐れみの書』はずっと昔に読んでいたことに気付きました。


 『少年の物語』と『青春』は自身の生い立ちを追想したもので、『少年の物語』はこの世で物心ついたときから14歳の夏まで、『青春』はその続編として14歳の秋から17歳の秋までを綴ったものです。

 『死と憐れみの書』はすべて作者の体験や伝聞に基づく話ですが、そのうちの「二匹の牝猫の一生」「クレエル叔母逝く」は若き日を追想したもので、『少年の物語』『青春』の補遺とも取れます。

 岡谷公二が『ピエル・ロティの館』で物語のエッセンスを上手に抜粋していたので、感銘を受けたところはほとんどが、『ピエル・ロティの館』で読んだ部分でした。
 
 この三作とも、読んでいる間中気持ちよく過ごせました。どこから読んでも繰り返し読んでも同じ情緒に浸れると思います。しばらくぶりで、ゆったりと文章を味わう喜びを堪能しました。ロティの文章は散文でありながら詩的な味わいに富んでいて、大塚幸男、津田穰両氏の訳もすばらしく、旧仮名遣いの文字から来る印象と古びた紙の質感も、感興を大いにそそるものでした。


 『少年の物語』では、初めて見たり体験したりすることの驚きと喜びが詩趣に溢れた文章で綴られています。初めて死んで行く人に立ち会う場面や、初めて海を見たときのこと、初めて陽の光を感じたとき、初めて音楽に感動したときのことが、生き生きと描かれています。なかでも異郷の魅力への目覚めはその後のロティを決定したものにちがいありません。

 ロティの生まれついての感受性、想像力の豊かさには凄いものがあります。本を読んでもらったり、話を聞いただけで、その場の情景が眼前にありありと浮かんでくる特殊な感性を持っています。次の場面はその一例です。

(本を読んでもらって)おゝ!私は、泣きたくなつて読むのをやめるやうにいひながら立ち上がつた。・・・私は見たのだ、全く見た、そのひつそりとした庭、その露はになつて半ば茶色の葉にかくれた古ぼけた立木棚、その青い玉、死んだ妹の遺品・・・(p54)

 猩紅熱に罹った折に見た奇怪な夢は、この本の中でもっとも幻想的な場面、長くなりますが引用します。

最初は佝僂の大へん醜い、どこかに優しげな醜さを持つた一人の老婆で、この老婆が、扉のあく音もせず、看護の者の立つて迎へもしないのに、音もなく私に近寄つてきた。これは私に言葉もかけないうちに直ぐ遠のいて行つた。が振り向きざまにその瘤を私に見せた。その瘤は先に孔があいてゐ、そこから老婆の體の中にゐた鸚鵡の緑色の顔がのぞいて操り人形のやうな小さな聲でそつと遠くで「クウクウ!」といつた、さうして醜い古い背中にもぐりこんでしまつた・・・あゝ!この「クウクウ!」を聞いたとき私は額に冷汗が玉とたつて流れた。しかし一切は消え失せてゐて、夢だつたことが自分で分つた。次の日は僧侶のやうに黒衣を著た、長い細い男が現れた。この男は私に近づいて来なかつた、が體をうんと前にかがめ、音もなく大そう速く壁をかすめながら私の部屋をまはりはじめた。急いで駈けてゐるあひだその棒のやうな見苦しい両脚は法衣をこわばらせた。そして―なほ恐ろしいことに―男の頭といふのは、嘴の長い鳥の白い頭蓋骨で―これは私が島の濱邊で前の夏拾つた、海水に晒された鴎の頭蓋骨を恐ろしく大きくしたものだつた・・・男は同じ急がしさと沈黙とのうちで一二回まはると床から上りはじめた・・・。相變らずその痩せた脚を使ひながら今はもう刳形の上を走つてゐた―次に一そう高く框の上を走り窓ガラスの上を走り―さうして夜の既に侵入してきてゐた天井の中にたうたう消えうせてしまつた・・・(p71〜72)


 『青春』は『少年の物語』同様、子どもの頃の王国が描かれ、しあわせな時代への憧憬が全体の雰囲気を醸し出しています。自然の風景、物音、月の光、大人たちの思いやり、動作、言葉・・・

 ここでは、姉の結婚に続く兄の非業の死、姉のように慕った近所の女の子の死など、惨い体験が出てきますが、初めての体験として印象的なのは、ジプシーの女との魅力的な出会いと密会。ロティはこれを皮切りに、ビアホールの女や、その後も年譜を見るといろんな女性との関係が出てきます。これはロティ一家が信奉していたキリスト教と両立するものなのでしょうか。


 『死と憐れみの書』は死に行く者や病気や不具で弱っている者への憐れみ、いたわりの感情がひしひしと感じられる11の短編を集めたものです。そのなかでも「名も知れぬ国」「二匹の牝猫の一生」「滅びし過去の中にて」「老夫婦の唄」は出色です。


 ロティのこれらの文章には過去を愛惜するような物静かで抒情的な雰囲気が漂っています。現在のものごとに対しても同様に慈しむ眼差しが感じられますが、それはつねに死に対する感性が根底にあって、その死の影が今への慈しみを生み出しているような気がします。