:剣持武彦の比較文学論二冊

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剣持武彦『肩の文化、腰の文化―比較文学比較文化論』(双文社出版 1991年)
剣持武彦『受容と変容・日本近代文学―ダンテからジッドまで』(おうふう 2000年)


 比較文学といえば、東京大学教養学部を中心とした複数語学に通じたエリート集団をイメージしますが、剣持氏は国語の先生がスタートで、英語以外の語学は弱いようです。しかしその分をカバーしようという比較文学に対するがむしゃらな情熱が根底にあり、また著者独自の観点を持っていて、それをもとに熱心に考察していることが伝わってきます。それが思い込みだったり、中途半端だったりする危惧を若干感じるところもありますが。


 この2冊で取り上げられているのは、明治、大正時代の日本文学が中心で、そこに影響を与えた海外文学のなかで、もっぱらダンテ「神曲」に焦点をあてて語られています。他登場する海外作品は、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、シェイクスピアハムレット」、スターン「トリストラム・シャンディ」、ジッド「田園交響楽」、詩ではポー「大鴉」、キーツギリシア古瓶の賦」など多彩です。日本側では、鴎外や漱石露伴、藤村、谷崎など重鎮に混ざって、中里介山山田風太郎が出てくるのは親しみを覚えます。

 影響関係というのではなく、同じ趣向の東西作品を比較した二篇(「ボッカチオ『デカメロン』と西鶴好色一代男』」、「セルバンテスドン・キホーテ』の一挿話『無分別な物好きの話』と落語『包丁間男』」いずれも『受容と変容』所収)は下がかった話ですが、なかなか面白く読めました。

 他にも、一葉「たけくらべ」が鴎外「そめちがへ」に与えた影響関係や、漱石「こころ」、有島武郎「宣言」、武者小路実篤「友情」三作品の作品比較を行なうなど、国内だけの影響関係についても、いろいろ興味ある指摘がなされています。
 また「西欧文化が肩の文化であり、日本文化が腰の文化」(『肩の文化、腰の文化』p17)というように、比較文化の領域まで考察の対象を延ばしています。

 江戸時代までの日本文学には、「短詩型抒情詩を核とした短編物語の集成」である「源氏物語」(『受容と変容』p31)と、「時間的にも空間的にも全体の構造が明確な筋の展開を見せ」る「南総里見八犬伝」(『受容と変容』p69)の両極の潮流があるとして俯瞰し、それぞれの近代文学への影響を論じているところも、スケールの大きさを感じさせられました。


 とくに面白かったのは、安西冬衛散文詩「軍艦茉莉」とポー「大鴉」を比較している一篇(『受容と変容』所収)で、たしかに「軍艦茉莉」にはポーとの親近性が認められ、その着眼点にびっくりさせられるとともに、安西冬衛の詩の素晴らしさも再確認できました。

 森鴎外と一葉、斉藤緑雨の三人の影響関係を論じた「そめちがへ」論(『肩の文化、腰の文化』所収)は、このあたりのことをよく知らないこともあったせいか、大変興味深く読めました。鴎外、直哉、龍之介の車内空間を題材にした三つの短編を比較した論文(『肩の文化、腰の文化』所収)も、明治の都市空間に新しくできた場所を素材にしていながら、それぞれの語りの視点が異なることで作品の印象がまったく違ってくることを明らかにしています。

 漱石が自転車に夢中になり、「自転車日記」を書いていたことも知り、読んでみたくなりました。


 読んでいて、明治の文人が語学の壁を乗り越えていち早く海外文学を摂取しようとする熱心な姿には胸を打たれます。明治時代のほうが戦後よりも、世界文学と同時的に直結していたということを再確認させられました。上田敏森鴎外夏目漱石二葉亭四迷など数人の果たした役割が大きかったように感じます。

 明治大正時代の文学者をたくさん扱っておきながら、鏡花とか荷風とかへの言及がほとんどないのは不思議です。とくに荷風比較文学では避けて通れないと思いますが、お好みではなかったのでしょうか。


 印象に残った文章を引用しておきます。

ユダヤ教キリスト教イスラム教・・・これらの宗教における姿勢は、イエス・キリストの十字架に象徴されるように「立」の文化である/p14

メランコリー質の人は、痩せて身穢く、不器用、吝嗇、貪欲、悪意、臆病、不実、不敬、怠惰、非社交的で異性を嫌悪する等々の悪徳を有し、・・・中世において教会のたえず戒めた怠惰は、ふつう頬杖をついて眠る人の姿として視覚化され/p30

→思い当たる節があるだけにつらいものがあります。

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」→樗牛「滝口入道」→藤村操の恋→武者小路実篤「初恋」と、プラトニックラブの系譜が辿れる/p120

以上『肩の文化、腰の文化』

坪内逍遥小説神髄」・・・その主張の実践だったはずの「当世書生気質」が、たぶんに戯作調の語り調になってしまっているために、従来の日本近代文学史の常識では、逍遥の激励によって書かれた、二葉亭四迷の「浮雲」の方が、本格的なリアリズム小説として評価され、「書生気質」は中途半端な作品と見られてきました。しかし「小説」という意識で、ちゃんと完結しているのは「書生気質」の方で、・・・若い露伴に奇想天外な長編小説「露団々」を書かせた原動力も「書生気質」の・・・新しい小説としてのプロットの面白さ、構造の面白さに魅せられたのだと言えます/p62〜63

八犬伝」・・・「化物」は幻想の所産である。仁義忠孝の化物がいかに生動し、いかに迫力あるロマンを構成するかということは、幻想のリアリティがわれわれを感動させるからである/p82

神曲」はキリスト教文学といっても・・・「聖書」とまったく源を異にするヘレニズム―ギリシャ思想、それを受けたローマ思想を包み込んでいる点で、聖書のバリエイションとのみ言いきれない面をもつ/p110

神曲」・・・ドイツでは1767年から翻訳があるがフランスでは1821年に始めて翻訳が出た/p111

伊藤整「幽鬼の街」(「文芸」昭12・8)は、小樽に帰省した主人公が、幻想の世界に踏みこむ話/p137

以上『受容と変容・日本近代文学