:篠田知和基『ヨーロッパの形―螺旋の文化史』(八坂書房 2010年)


 先日このブログでもご紹介した『フランス幻想文学の総合研究』で面白かったので、珍しく新刊で購入。篠田知和基は幻想文学研究の後、民話伝説研究の方に向かって行ったところまでは知っていましたが、さらに、こうした文化史文明史の分野にまで触手を伸ばしていたのは知りませんでした。


 文化史といっても一次資料に基づく実証的で緻密な研究というよりは、どこか荒俣宏中沢新一松岡正剛を思わせるブッキッシュなところがあります。悪く言えば、胡散臭さと偽科学のにおいのする大法螺吹きの様相が垣間見えるというところでしょうか。別に悪口を言うつもりではなく、大胆な構想力や発想の飛躍が、素人として読んでいる分には大変面白いということを言いたいわけです。梅棹忠夫今西錦司多田道太郎などの京都学派に通じるところがあるような気もします。


 著者の知識を総動員して、大きな視野からヨーロッパとは何かをざっくりと論じた本と言えるでしょうか。自説を展開するのにいろんな例証が出て来て、違う例もあるような気がしますが浅学非才のためそれが何か思い出せないまま読んでいるうちに、著者の指摘のとおりという気がしてくるから恐ろしい。


 著者の説を簡単に言えば、ヨーロッパの根底には、螺旋や渦巻きの形があるということで、いろんなところに形としての螺旋を発見し、また文明そのものにおいても、車輪やネジ、蒸気機関の螺旋、回転の原理が機械文明を押し進めてきたという指摘を行なっています。もちろん単純な一次元的な発展は描いていなくて、古代の蛇信仰が狭隘なキリスト教で屈折したことや、ギリシア的な直線性の存在が一方であることも指摘しています。

 この本の特徴は、例証が広い分野にわたって数多く繰り出されていることだと思います。建築様式(螺旋階段)から、集会の形(円形の議会)、教会の装飾(ヴォリュート)、衣裳(糸巻き、ひるがえるスカート!)、髪型(三つ編み!)、音楽(金管の渦巻き)、器具(時計のぜんまい、ワインの栓抜き)、遊びのかたち(メリーゴーランド)、食文化(ねじりドーナッツ!や、西洋の皿は円いが日本の重箱は四角い!)まで、次から次へと例証のオンパレードでいささか辟易。その例証の素材には、格調の高い書籍渉猟と同時に、著者の卑近な体験が混ざっていて、何とも不思議な味わいがあります。


いくつか文章を引用しておきます。

螺旋階段というものが、ヨーロッパ文化のひとつの基本形なのである。・・・なぜ螺旋階段なのかといえば、まっすぐな梯子ではどこかに支えがなければ立たないが、螺旋階段で、それも螺旋の半径がおおきいものであれば支えがなくともそれだけで立つのである。先のほうは雲間に消えているが、ぐるぐると回っていればそのうち天につく。ネジの原理である。/p10

ヨーロッパは一方では完全な円と直線による幾何学的な世界を設計した・・・他方にベルニーニ的な曲線や螺旋があったことは、時代的なエキゾチスムというよりは、ギリシア的精神とヘブライ的、あるいはオリエント的精神がヨーロッパでは絡み合っているということかもしれない。フランスにはデカルト的な幾何学的精神とラブレー的ゴーロア精神があると常々いわれるが、・・・ゴーロア精神とは快楽であり、豊饒であり、ダイナミスムである。一方に禁欲的な秩序があり、他方に享楽的な混沌がある。一方が直線であれば、他方は螺旋である。しかしその二つが木にまとわりつく蛇のように絡み合ってヨーロッパという複合文化を形成しているのである。/p30

プロペラやスクリューを回すことによって船体や機体を前へ進ませることはヨーロッパで発達した科学技術のひとつの典型的な形を成している。「回せば進む」ということは必ずしも自明の理ではなく、竹とんぼや、ブーメランを持っていた文化でもそれらを推進装置に応用することは考えなかった。/p39

楽園の木の実を食べることが禁じられていたということは、後のキリスト教の非人間性といってもいいような偏狭な性格をあらわしている/p71

蛇は脱皮をして永遠に生まれ変わると信じられ、地面の隙間からはい出してくるので、地下世界を管轄するものともされた。地下、すなわち冥界であり、また豊饒の源でもあって死と再生を司るのである。/p80

蛇神を信仰する古代の宗教と蛇を業罰の印とするキリスト教とが蛇の絡まる姿のように絡み合ってヨーロッパ文明をつくっていったのかもしれない/p82

渦がひとつの混沌をあらわす形であるなら、秩序は交差する二本の線、すなわち十字や、四角形であらわされるだろう。/p91

計器はローマ時代の水時計がすでに円い文字盤に時刻を表示するようになっていたことが象徴的に示しているように、円盤上に連続的な目盛りで表示されるのがふつうだった・・・ヨーロッパ文化はほかの文化でははかりえないと思われるものまですべて数値化してはかろうとするものであり、その数値を円い文字盤に表示するのだった/p189

羅針盤でも天体観測でも中国で先に発達していたが、科学技術に応用されることはなかった/p190

楽園の無為の生活より、人は知恵に身を捧げて、科学技術を開発してゆくことを選んだ。それはギリシアでは黄金時代から青銅と鉄器時代への移り変わりに相当した。・・・労働と、それによって富を蓄積すること、また技術を革新していって、より多くの富を自然からしぼりとることを人は選択したのだ。車輪と螺旋と蛇がそれを象徴していた。/p234

渦巻きは聖なる印として機能した。それは回転しなくなって平面に閉ざされた螺旋だった。/p234