:Marcel Brion『Contes fantastiques』(Albin Michel 1989)(マルセル・ブリヨン『幻想物語集』)


 2冊の短編集『LA CHANSON DE L’OISEAU ÉTRANGER』(1958)(14篇から4編)と『Les Ailleurs du temps』(1987)(14篇から7編)を編集したペーパーバックです。

  10年ぐらい前に、大阪難波の古本屋で入手。当時の語学力でこれが果たして読めるかどうかほとんど絶望的で、安値の割りにかなり迷ったことを覚えていますが、買うだけと思って手元に置いておいたもの。今にして思えば買っておいて良かったと喜んでいます。

 ブリヨンらしい重厚な幻想が詰まった1冊でした。ヴェニス、古い見捨てられた館、どこからか聞こえてくる古楽、見世物、彫像、船、薄明、運河、霧、廃屋、幽霊、庭園、迷路、彷徨、分身など、ブリヨンの趣味がいたるところに溢れています。私の趣味でもあります。

 文章は少し持って回ったような表現が多いですが、森や海など自然が豊かで、ときには異国情緒があり、色や香りに満ちていて、散文詩のような味わいがあります。また特徴のひとつとして、語りの技法だと思いますが、同じことが少し形を変えて何度も繰り返し出てきます。音楽によくある変奏を小説で試みていると思われますが、酔っ払いの繰言、老人の喋りに付き合うときようなもどかしい印象を受けるのも事実です。

 「Sibilla van Loon(シビラ・ファン・ローン)」を、その昔『現代フランス幻想小説』で滝田文彦訳で読んだのが、マルセル・ブリヨンとの最初の出会いで、その時日本語で読んでも難渋だった記憶が残っています。今回、原文ですが分からないなりに格別の味わいがあり、初版本を持っていることが嬉しくなってきました。嬉しさついでに書影を載せておきます。

 文章はそれぞれの短編の性格によって、分かり易い作品と難しい作品がはっきりしていました。同じ作品の中でも、何度も書くようですが、具体的でない理屈っぽい部分では難渋しました。
 分かり易い作品は「La Corne de corail(珊瑚の角)」「Le Brouillard(霧)」「Le Mariage de Lady Belle de Clare(クレア麗夫人の結婚)」「Le Tableau(肖像画)」「Les Intrus(闖入)」「Caprice chinois(支那の幻想)」。

 難しい作品は「Les Statues(彫像)」「Sibilla van Loon(シビラ・ファン・ローン)」「La Robe bleue(青い衣裳)」「Réception dans un jardin(庭園の宴)」「Le Virtuoso du labyrinthe(迷路の達人)」。

 しかしかならずしも分かり易い作品が素晴らしいと思った作品とは限りません。

以下、内容を簡単にご紹介します(ネタバレ注意)。作品を素晴らしいと思った順に◎○△の3段階に分けています。


◎La Corne de corail(珊瑚の角)
 誰も住んでいないはずのヴェニスの古い建物に彷徨いこんで、時空を超越したような奇妙な空間の中で若い女性と不思議なやり取りをする。その夢のような出来事が翌日広場で行なわれる気球の出発という現実につながっていく。あれは果たして幻だったのか、それとも気球チームが仮の宿として本当に住んでいたのか。読者も主人公とともに多義の解釈が可能な境界に宙吊りにされる。


○Les Statues(彫像)
 開高健の「流亡記」のような、人々の集団を主人公とした作品。観念的な散文詩の味わいがある。町の中での住民と彫像(とその幻)の攻防が描かれ、最後は、住民たちがせっかく町から脱出したのに彫像も姿を消すという徒労のテーマで終わる。


◎Sibilla van Loon(シビラ・ファン・ローン)
 現代の美術館と、17世紀の館のなかの部屋と、南洋の船上が交錯する不思議な時空の中で、謎の女性Sibilla van Loonとの運命的な出会い。彼女が夫を毒殺するというライトモチーフがところどころで鳴り響く。全体は香りと調べと薄暮を描いた壮大な散文詩で、私の力ではとてもまとめ切れない。


○La Robe bleue(青い衣裳)
 町の通りのショーウィンドウに飾られた青い衣裳に惹きつけられ、その衣裳にふさわしい女性を探すところから生じる妄想とも言える世界。夜と死への讃歌が歌われるが、最後に巨大化する女性とともに衣裳は青い空となり、宝石は星となって茫洋と空に吸い込まれ消えて行く。


△Le Brouillard(霧)
 アイルランドが舞台。夫のある女性と島を出て駆け落ちしようとして、霧に惑わされ会えないまま、男は事故で死に、女は忍従の生活を余儀なくされる。霧とアイルランド墓所を除けば、ブリヨンらしからぬサスペンスのある心理小説の味わいがある。男が殺し屋に追われているというハードボイルド的な要素もある。


◎Le Mariage de Lady Belle de Clare(クレア麗夫人の結婚)
 古典的な幽霊譚。「死でさえも我々の結婚を妨げない」と誓約した二人が、その言葉に呪縛され、死後200年を経て結婚式を挙げる話。二人の希望に応えて神父が頑張る。秘跡物語の要素もあり、ユーモア譚的なところもある。この物語もアイルランドが舞台、ブリヨンの出自であるアイルランドへのこだわりが感じられる。


◎Le Tableau(肖像画
 壊れかかった家に残る肖像画に惹かれた男の話。その絵を見るために、窓からその絵がよく見える女性の部屋へ通うことになる。そして最後にはその家も取り壊されてしまう。住みなれた町への郷愁に満ち男女の静かな情感が漂う物語。肖像画に恋するのと、女性とのホテルでの密会が、それぞれ別のシチュエーションで2回ずつ反復する。


◎Les Intrus(闖入)
 幽霊譚。旧い家に住み着いた幽霊の家族が、初めは庭に、そして家の中に闖入するようになり、初めは子どもたちしか気づいていなかったが、ついに両親にも見えるようになり、家族は出て行くことになる。闖入者とは幽霊から見た生者のことだったことが分かる。アイルランドの妖精を思わせる幽霊の、物静かで怯えたような愛すべき生き方が詩情をたたえて印象的。


○Réception dans un jardin(庭園の宴)
 迷路譚。見知らぬ老婦人から突然ある宴席の招待状を渡される。誰から招待されたかも分からないまま、巨大な庭園の迷路を通り抜け、かろうじて辿り着いた会場では、すでに宴たけなわであるが誰からも相手にされずテラスの奇怪な人びとの間をさまよう。帰ろうとして今度は元の世界が自分を迎えてくれるかどうか不安に陥れられる。庭園へのオマージュに満ちたカフカ的悪夢の世界。


◎Le Virtuoso du labyrinthe(迷路の達人)
 観念的小説。ふとしたことで迷路を作って遊んでいるうちに、次第に熱中し、考案する側と脱出する側に自己が分裂し、激しい戦いを繰り広げるようになる。2次元のゲームから3次元のゲームへ。熾烈な戦いの果てに考案者が勝つが、自らも迷路に入り迷路の中で消失してしまう。文章が難しく、この短編を読むこと自体が何度も同じ光景を目にし堂々巡りをしているように思え、迷路を彷徨っているようであった。


◎Caprice chinois(支那の幻想)
 異界彷徨譚。漢字や中国の文物に憧れている男のもとへある日無言の中国人が訪れ、彼の案内で異界へと入っていく。空想動物(麒麟が出てくる)の石像の並ぶ道を通り、音楽が奏でられ小馬の飛び跳ねる地下の広間をかいま見て、神話が描かれた洞窟を抜け木乃伊の部屋へ至る。最後はどこへ行こうとしているか分からないまま、案内人はどこかへ消えてしまっている。さまざまな幻想が流れるように移り変わる叙法は一種の音楽と言える。


 3月に未知谷からブリヨンの短編集が村上光彦訳で出版されるという情報もあり、出版される前に頑張って、『LA CHANSON DE L’OISEAU ÉTRANGER』と『Les Ailleurs du temps』の残りの作品を読むことにしよう。