:古本関連2冊。山本善行『古本のことしか頭になかった』岡崎武志『古本めぐりはやめられない』

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山本善行『古本のことしか頭になかった』(大散歩通信社、2010年)
岡崎武志『古本めぐりはやめられない』(東京書籍、1998年)


 このお二人は高校時代からの古本友だちのようで、山本さんの本の中にも出てきます(p54)。お二人とも年季の入った古本狂であることは共通していますが、この本を読む限りでは違ったところもあります。

 山本氏の本がもっぱら純文学系の探書の話が中心なのに対して、岡崎氏の本は、探書以外に、探求過程でのいろんな手法や、エピソードが語られています。探求書は、均一小僧を名乗るだけあって幅広く話題性のあるものが中心です。

 文章は、山本氏が実直な人柄を反映した文学的な文章で素朴な味わいがある一方、岡崎氏にはジャーナリスト的な着眼の良さと軽妙さが感じられます。書物や出版に関して観察眼が鋭く、現象を総体として考える社会学的な視点があるように思います。


 『古本のことしか頭になかった』では知らない作家のことなどいろいろと教えられました。いつも古本探求本を読み終わった後必ず数冊は買いたい本が出てきますが、今回も加藤一雄『無名の南画家』、柳田泉『明治文学研究夜話』や荒川洋治の書物エッセイ集『夜のある町で』『忘れられる過去』『世に出ないことば』、庄野潤三作品など早く入手して読みたくなりました。

 しかし、人の奨めで本を買うというのは、この本の中に「知らない作家であっても買えるようになりたいものだ。そのときには自分だけの評価が必要になる。人が褒めたからではなく、そのときの目の前にある文章を読んで、買おうか止めておこうかと考える。それがなかなかできない。」(p94)とあるように、店頭で見知らぬ人の本を自力で判断して買う時よりも、喜びは少ないものです。

 また、作家に関するエピソードや豆知識が豊富で、読んでいて大変面白いですが、注意をしないといけないのは、豆知識を得ることを目標に本を読むようになってしまうことでしょう。本来の作品に向かう態度を先ず大事にしたいものです。山本氏のように作品や作家への追求や研鑚があり、その過程で自然と知識がこぼれ落ちてくるという感じでなくてはなりません。

 自らの古本蒐集の努力を戯画的に観察した「誰に頼まれたわけではないが」(p7)という表現や、「わたしは安いと思えないと買えない」(p87)というあたり親近感を覚えます。


 『古本めぐりはやめられない』では、この人の他の著書にも共通するその古本中毒ぶりがうかがえます。車窓から発見した古本屋へ駆けつけたり(p6)、「古本(ふるもと)」という人名の看板を古本屋と間違えたり(p6)、文庫本にまでパラフィン紙をかけたり(p39)、「背の汚い本こそ見逃すな」(p34)という探書のテクニックだったり、パラフィン紙以外は私も経験したことがありますが。

 ただ、「古本屋めぐりの弊害」(p154)に描かれている無残な姿(分量が多いしとてもおぞましいので引用できません)にだけはなりたくないものです。

 こうした古本魔になる過程が、初めに語られていますが、小学生の頃に古本に目覚めたという早熟ぶりです。しかもこのときすでに3冊10円という均一のどの3冊を選ぶか悩んだというから凄い。

 品のある古書道から外れて、舗道に出された均一台を専門に漁る「均一ストリートファイター」(p60)という闘志溢れるネーミングを自ら引き受ける姿勢はあっぱれです。