:MARCEL BRION(マルセル・ブリヨン)『LA FOLIE CÉLADON(青磁荘)』(ALBIN MICHEL 1963)


 久しぶりにBRIONを読みました。この本は緑一色のクロスでルリユールされていて、表にはタイトル等が一切ありませんので、扉の部分を載せておきます。どこかの図書館からのお下がり本のようです。


 LA FOLIE CÉLADONは「青磁狂」と訳すべきだと思いますが、これは建物の名前でもあるので、村上光彦さんが「淡緑荘」と訳しておられるのを見て、その間を取って「青磁荘」としてみました。


 私にとっては難しいところが多々ありました。抽象的な話題で長い文章が続くとやはり分かりにくいものです。浅学非才をあらためて思い知らされた次第です。


 冒頭から、古いものへの憧れ、無益なものの美しさ、廃墟の美が語られます。物静かな語り口は大変好ましく、ジャン・ロランの刺激的な文章とはまた一味違った上品な落ち着きがあります。

 ゆるやかに語り始められる導入部に続き、物語の設定が次第に明らかにされていく前半は、ブリヨンらしい舞台が次々と登場してとても魅力的です。主人公が謎を追いかけながら、真相を追究しようとするモディアーノのような探索物語になっていて、なかなか良くできています。

 古い旅行書に載っていた城館を見に来た語り手(ブリヨン)が、川の中の島に立てられたその城館が厄災によりすでに廃墟と化しているのを知って、厄災の秘密を探ろうとします。

 冒頭に、昔モーツァルトがウィーンに行く途中、嵐を避けて父親と一緒にその城館に避難した挿話が語られます。こういったところが物語のふくらみを感じさせられるところです。

 厄災の起こる前に城館でパーティが催されたことが分かり、そこに招かれた人生に陰のある人々の人物像、彼らが贅の限りを尽くした音楽会や芝居、宴会、花火の全容、招待客が順番に披露する打ち明け話などが次々と披露されていきます。厄災は花火の爆発が原因らしいということが分かります。

 主人公にそうしたいきさつを語るのは近くで見ていたホテルの主人、それに厄災の1週間前に城館を出た人物ですが、さらにその人物宛に城館に残ったメンバーから送られてきた手紙や小説家の作品で補足されていきます。そして最後に主人公の想像が物語の最終場面を完成させるといった具合に、技巧を凝らした作品となっています。


 前半は展開が目まぐるしく、どんどんと謎が深まっていくので、これは凄いと思っていたのですが、後半になると、展開が少なくなって謎解き部分が中心になり、理屈っぽくて理解が及ばない分しんどくなってきました。

 フランス語を読んでいていちばん苦しいのは、作者が何を書こうとしているのか、背後の意図がまったく見えなくなってしまうときで、目先の一文の意味をつかむことだけに熱心になってしまって全体の流れが把握できなくなり、面白さが薄れてしまいます。


 この作品の魅力は、何と言っても登場人物の奇怪さにあります。
顔の半分がとても美人なのに、別の半分は眼が潰れて大きく傷のついたぐちゃぐちゃの顔のClairenore。
とてつもない借金を抱えたため金持ちの娘と結婚しようとして、結婚式の前日にその家が破産、さらに一文無しになった落ちぶれ男爵のHunenberg。
厄災の起こる直前に、召使たちと一緒に帰途に着き命拾いをするも、結局4ヶ月後自殺をしてしまった歌姫Erika
館主の祖先で、身に宝石の数々をつけ橋から飛んで死んだいつも酔っ払っていた花火師。
作曲の道を諦め、戯画的な演奏に没頭する、ホフマンの登場人物を思わせる天才的ピアニストHellmann。

 それから、青磁荘自体の魅力です。冒頭主人公に、「とても素敵なところよ、モーツァルトアイネクライネナハトムジークの2楽章の冒頭のように」とある女性が表現しています。川の中の島に建っているのが、ちょうど、川を進んでいく大きなガレー船に見立てられます。建物を背景に、夜空に花火のページェントが繰り広げられ、そのまま火災に包まれていきます。

 語り手(ブリヨン)が、ホテルの部屋の暖炉の火を見ながら、いろいろと想像をめぐらす中で、その炎が次第に、青磁荘を包む炎と重なっていきます。