:渡辺一夫著カッパ・ブックス2冊『へそ曲がりフランス文学』『うらなり先生ホーム話し』

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渡辺一夫『へそ曲がりフランス文学』(光文社 昭和36年
渡辺一夫『うらなり先生ホーム話し―おヘソのつぶやき』(光文社 昭和37年)


 カッパブックスがこのような格調の高い本を出していたのは知りませんでした。社長の神吉晴夫東京大学仏文科で一緒だったご縁でと思いますが、『うらなり抄』という本がこのコンビでのカッパ・ブックス最初の出版で、それがベストセラーになったので、第2弾として『へそ曲がりフランス文学』、第3弾として『うらなり先生ホーム話し』が出版されたようです。


 『へそ曲がりフランス文学』は、大家の割りに謙虚で穏やかな人柄を感じさせる文章で好感が持てました。あくまでも自分の感性を信じて、よく考えた上で文章を書いているのが感じられます。理屈が溢れた文章とでもいうべきでしょうか。

 60年代頃から、当時の若手文学者や詩人の書く文章は硬くて断定的戦闘的で、なかには自分が何を書いているか分かっているのかと思えるような文章までありました。おそらく随分無理をして背伸びしようとしていたんだと思います。当時はこちらも若かったためか、普通の分かり易い文章は何となく内容がないように思え、彼らの書く文章をかっこよいと思って読むのに励んでいましたが、いまになってみると、落ち着いて読む気がしません。

 それ以前の文学者たちの文章は、若いころの文章でも大変読みやすく、最近はもっぱらそういう人たちの本を探しては読んでおります。

 『へそ曲がりフランス文学』は文学史ですが、「まえがき」でも書かれているように、「わかることしかわからない」という観点から、普通の文学史のように時代を追って客観的に網羅していくような書き方ではなく、「寛容」や「サロン」「モラリスト」「進歩観」「啓蒙」「理性と感情」といった視点から、歴史を横断的に叙述しています。

 とくに前半の寛容論やフランスモラリスト文学、啓蒙主義あたりまでは、ご専門だけあって、著者の叡智というものを感じさせられ、非常に説得的です。後半の、象徴主義サルトルあたりは本人も表明しているように不得手らしさがありありと現れていますが。

 私の学生時代は過激な時代で、周りの友人たちで寛容を語っているような人はあまり見かけませんでしたが、こんな寛容を説く本が出ていたのを知っていれば、もう少し賢くなっていたかもしれないといまさらながら思います。
 結論の部分で若干おざなりな感じがするのは、中庸を行こうとするこの寛容の精神が原因とも考えられますが。


 『うらなり先生ホーム話し』は、フランス文学から少し離れて、自分の幼い頃や学生時代の思い出、家族のこと、社会のできごと、フランス史のエピソードなどについて、思いつくままに語ったという感じの随筆です。

 肩肘を張らずリラックスした感じで、庶民の目線で書かれていて、家族の揉め事などに関しても本音を誠実に語っているのが素晴らしいと思います。そういう姿勢の中から、きらりと光る至言がさらりと書かれているのです。こういった姿勢は辰野隆の軽妙エッセイからの伝統でしょうか。

 なかでも、学生の頃通っていた「三才社」というフランス書専門店の思い出を語っているところでは、その本屋を知らない私にまで、懐かしさが溢れてきました。

 また、幼い頃面倒を見てくれていた女中のO女の思い出では、片目の老婆だったO女の異様な振る舞いが与えた不気味な印象を述べ、著者が成長するにつれて彼女にいろいろと冷たく当たった事実を書いた後、「ただわかることは、O女のせつない寂しさであり、そうした寂しさのわかるような年ごろに自分もなってしまったということです。/p124」と自分の冷酷さに後悔の念をにじませ感傷的に回想します。O女とずっと書きとおしていたのが、最後にお末と本名が出るのは、心の動揺がなさしめたことでしょうか。

 ベデガーという旅行書の話題がちょっと出てきますが、ちょうど読んでいたマルセル・ブリヨンの『青磁荘』でその旅行書の話が出ていて、偶然の一致を感じました。


 この2冊の元となった『うらなり抄』をまだ読んでいませんので、どこかの古本市で買って読むことにしましょう。


 最後に、恒例により、印象に残った文章を引用します。前段の話抜きに断片だけを引用しても面白さは伝わらないかもしれませんが。

『へそ曲がりフランス文学』より

およそ、この人間社会では、何か事が起こりますと、自己の「信念」に従って身命を賭する少数の人々を中心にして、やくざ、ごろつき、権力亡者、金もうけ亡者どもが、右往左往して、善意の人々の計画を破りさり、自分たちだけの立身出世の道を尋ねまわるもののようですから/p31

人々は、われわれの確信や判断が真実のために役立つのではなくて、われわれの願望の作りあげるものに役立つのを望む。・・・私は、自分の求め願うことに対して、少々敏感に警戒する。(モンテーニュの言葉)/p35

懐疑とは、事ごとに「さあ、どうだかわからない」とつぶやいて、やに下がることではなく、本来の意味は、その語源skeptomaiが示すとおり、「検討する・調査する・探求する」の義ですから/p37

『うらなり先生ホーム話し』より

ラ・ローシュフゥコーという貴族が申しましたように、「美徳とは、化粧をした悪徳」かもしれないのです。さらにまた、ジョゼフ・ド・メーストルの「紳士の良心はどす黒い雑巾のようなものだ」という放言も、これまた、なかなか胸にこたえるものを持っています。/p29

しかし、ふと立ちどまって、この横丁をのぞくたびごとに、年がいもなく、いや老残の身になったればこそかもしれませんが、感傷的にもなります。青雲の志が、やすやすとくじかれることになるのをも知らずに、ベルナルダン・ド・サンピエールの『自然研究』にかじりついていた消え去った可憐なぼくの幻が、あの横丁を彷徨しているのが見えるからなのでしょう。/p39

われわれは幼いころから、見聞きして記憶したいろいろな言葉使いを、しかるべく案配して、なにか内容のあることをしゃべったり、書いたりしたつもりになっている・・・/p56

「清貧」は自分に要求できても、他人に求めることは、できないもののようです。/p64

われわれ一人一人、かくのごとく孤独地獄に落ちているのですが、われわれは、他人も同じ仲間だということを考えねばならないのです。そして、好意を寄せ得る相手、憎悪を向けたい相手に対してはとくに、こうした同罪感を持つべきだと思います。/p134

Vert galantと申しますのは、「緑色の」すなわち「若々しい・元気のよい」という形容詞と、「女性にていねいな男・色男・女好き」という名詞とが組みあわされた語で、・・・はっきり申しますと「猅々爺」のことですが、「ヴェール・ガラン」を「猅々爺」とは直ちに訳せないところに、言葉のおもしろさもあり、アンリ4世の人柄もあるということにいたしましょう。/p152