:渡辺一民『フランス文壇史』(朝日選書 1976)


 『フランスの誘惑』読了の勢いで、同じ著者の本を読んでみました。

 この本の特徴は、著者自身も「文学作品を成立させた《場》についてのエッセー」と書いているように、いくつかの時代の局面を、社会的な背景や、文学者芸術家全体の動きのなかで捉えようとしています。

 《場》というと、空間的なことを思ってしまいますが、確かにサロンとかメディアについての言及はありますが、むしろある一定期間の時代の雰囲気というところに焦点が当たっていて、年号の持つ意味がきわめて大きくなっています。

 著者によれば、1830年、1857年、1870年、1913年がフランス文学史を語る上での時代を画する節目の年と言います。1830年のエルナニ事件に象徴されるフランス・ロマン主義の黄金時代、1857年は『ボヴァリー夫人』と『悪の華』の裁判、1870年は印象派の黄金時代、1913年はアポリネール『アルコール』、プルースト『スワン家のほうへ』に象徴される20世紀文学スタートの年という具合に。

 他にもさまざまな興味ある指摘がなされています。
ナポレオンの時代にはすぐれた文学作品が生まれなかったこと、
東方趣味がロマン主義以前と以後で大きく性格が変わること、
サロンの持つ意味が1830年頃に変質したこと、
ロマン主義者たちは七月革命では立場を変えなかったのに、二月革命ではほとんどが転向してしまったこと、
ボヴァリー夫人』と『悪の華』の裁判では弁護側も古い文学観に囚われていたこと、まさしくこの二著の持つ革新性を検察側が無意識に感知していたこと、
19世紀の特徴は、文学、美術、音楽のあいだに密接な関係が生み出されたこと、
象徴主義の時代にはサロンと同じくカフェが重要な役割を果たしそこから無数の同人誌が生まれたこと、
象徴主義の風土が、文学者たちが政治に関心を持ち始めたことにより瓦解し始めたこと、そしてそれを決定的にしたのがドレフュス事件だったこと、
ドレフュス事件の後、女流文学者の時代になったこと、
アポリネール文学史的意義の大きさ、彼の文学的実験が、ピカソなど絵画の実験と並行して進んでいたこと、

 これらについて、それぞれの理由とともに、社会全体の大きな動きから洞察が加えられています。文学的感性に溺れるだけの文学論者の多いなかで、社会学的なセンスの光る本と言えます。
 
 一方で、『フランスの誘惑』でも感じましたが、著者にはどこか社会主義者的な言説があります。「二月革命、または科学の信仰」の項目に見られる「民衆」についての手離しの礼賛、それに最後の「1936年夏」の項目にいたってはなぜこの項目が書かれたのか解せないくらいです。

 題字扉の裏にさりげなくフェリシアン・ロップスの絵が、タイトルも説明も作者名も記されず置かれていますが、これが何を意味するものかよく分かりませんでした。