:中国のお話関係2冊

井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』(平凡社、1992)
荘司格一『中国説話の散歩』(日中出版、1984

 井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』を文庫本でW買いしたのがきっかけで読んでみました。これがなかなか面白く、中国ものをもう少しと思い、荘司格一『中国説話の散歩』も読んだので、合わせて取り上げます。


 井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』は、「三言」と総称される明末中国の短編小説集について、物語そのものの成熟した技巧に焦点を当ててその魅力を解明しています。「三言」の面白さがよく理解できると同時に、「三言」のエッセンスを効率よく読めたという感じがしました。またそうした「三言」の面白さが形成された背景や、「三言」に流入している過去の物語群について、文学史的な俯瞰がなされており、大変勉強になりました。

 はじめの方で次のように書かれています。

六朝志怪や唐代伝奇は、いずれも文言(書き言葉)によって書かれており、その点で、白話(話し言葉)を用いた宋代以降の近世小説とは截然と区別される。白話スタイルの系譜から見て、宋代話本に影響を与えたのは、むしろ8世紀中ごろ、中唐のころから、寺院の境内などで行なわれた、教化を目的とする語り物『説経』の方である。」/p19

 アラビアンナイトや日本の「説経」や講談など、語り物に共通する面白さのようです。

 そしてこれまで、初期の宋代の話本のみに評価が高く明代の話本は技巧的に過ぎるとみなされていた風潮を批判して、次のように書いています。

「素朴であることは、文学においては、そのまま価値につながらないことは、自明の理であろう。私見によれば、複雑周到、成熟したエンターテインメント文学の表現技法を、縦横に駆使した物語的展開から見ても、そこに織り込まれる問題意識や諧謔性あふれる笑いの精神から見ても、小説の時代である明代に作られた擬話本の方が、はるかに興趣に溢れ、小説としてのレベルが高いと思われる。」/p10

 たしかに紹介されている物語はとても面白く、なかでも圧巻は、「陸五漢、硬く合色の鞋を留むること」(醒世恒言)、「蔡瑞虹、辱を忍んで仇を報いること」(醒世恒言)、「荘子休、盆を鼓いて大道を成すこと」(警世通言)、「老門生、三世に恩を報いること」(警世通言)。

 後で読んだ『中国説話の散歩』と比べると、物語の説明が丁寧で真に迫っており、「三言」自体の魅力もあずかっていることと思いますが、読んでいてわくわくさせられました。

 全体的にはピカレスクロマン(悪漢小説)的な色彩を指摘しながら、面白さのポイントとして、「13人もの人間が、たった一文銭がきっかけで、続々と将棋倒しになって死んで行くという、ナンセンスにして恐怖に満ちた」ドミノ現象的なストーリーや、幾重にも「とりちがえ」を重ね物語がどんどんと錯綜していく構成、そして登場人物の汚らしくおぞましいキャラクターを浮彫にするための、例えば「腰のおできの痕から正体を見破られる」というような細部にこだわった描写などを挙げています。

 また共通するテーマとして、「ふとしたきっかけから軌道を踏み外し、まさしく転がる石のように転落を重ね、落ちるところまで落ちてゆく淪落の女のテーマ」、「不気味な水に運ばれての地獄めぐり・・・船旅の災禍をモチーフとする『江賊物』と呼ばれる小説の系譜」や、人間的時間の流れから我知らず離脱し、仙界的時間のゆるやかな流れのなかへ迷い込んでしまう異界のテーマなどを挙げています。

 さらに物語の中の神話的要素として、二度失敗を繰り返し、三度目にようやく成功するという構造や、貴公子がいったん乞食に身を落とすという死と再生の神話的パターンにも言及しています。

 少し瑕があるとすれば、それぞれの節の終わりしなに、西洋の理論を参照し自説を補強している部分があるのですが、バフチンのグロテスク・リアリズムはこの論の中心をなし必然性が感じられるので除外するにしても、ボードリヤールフーコーなどはそんな必要はあるのかと思ってしまいました。


 荘司格一『中国説話の散歩』は、中国説話をテーマ別に紹介した本。虎、鶴、蛇、鏡、地獄、雷を取り上げています。おそらく中国説話にはもっとたくさんのテーマがあるはずで、ごく幾つかを取り上げたに過ぎないのでしょう。著者もあとがきで、猿、狐、桃、鬼、神、夢など他日にゆずると書いていますが、その後出版されたのでしょうか。
 
 それぞれのテーマの説話の紹介とともに、中国の文物全体に関する知識が得られるようになっていて、初心者としてはありがたく思いました。ただ説話の紹介があっさりしているのと、省略が多くて意味が通りにくいところが多く興趣をそがれましたが、これは編集者の責任だと言えましょう。

 幾つかの奇怪な想像力はとても気に入りました。少し列挙してみます。

部屋を開けると誰も居ないが(扉を閉めて)鍵穴から覗くと師が眠っているのが見える。/p62

ゆっくり歩いているように見えながら、馬を走らせても追いつけなかった。/p65

墓をひらいてみたところ、棺には屍がなく、ただはきものだけのこっていた。/p65

蛇酒を杯になみなみついでのんだ。弟は水になってしまった。ただ毛髪だけが残った。/p87

ふとんの中の身体がだんだんなくなっていくようである。ふとんをめくってみると、水をそそいだようになっていて、頭だけのこっていた。/p100

墓を掘り当てたところ、墓の中の銘に自分の名が出てくる話、「千年の後、○○にあけられるはずである。運命がそうなっているのだ、とじれば吉、あければ凶」/p141

地獄で自分の脚を胡人の脚と取り替えられてまた生き返った男の話、その胡人のこどもは親のことを思い、この人の脚を抱いては泣くのであった。道であうととりすがって泣く。そこで出かけるときは門を見張らせ、胡人の子が近づけないようにした。/p153

雷を鋤でめちゃめちゃに叩きつけると、ベッドの半分くらいになり、さらに大皿ぐらいになり、ガラリと地面に落ち、最後は小さな脚の折れた鼎になった。/p184

雷を切りつけた。雷の左股にあたり、脚をきりおとした。/p179