:『ゴシック名訳集成 暴夜(アラビア)幻想譚』(学研M文庫)

ikoma-san-jin2008-07-03


 この本は千夜一夜物語の影響下に綴られた物語を集めています。18世紀初頭ガラン訳の登場をきっかけにした西洋での千夜一夜熱のもとで生まれた作品、また日本にはじめて紹介された明治の頃の古式ゆかしき翻訳です。

 「ヴァテック」はむかし小川和夫訳で読んで衝撃を受け、その後挿話群や初期作品が刊行されるたびに読んでいましたが、今回意外だったのはあれほど熱中し凄いと思っていたのに、若干平板で面白みにかけて感じられたことです。

 それとは逆に「シャグパット」もむかし読んだと思うもののあまり印象に残っていなかったのに(読んでなかったのかもしれない)、今回は語り口調の面白さと豪華絢爛色彩的な情景、次から次へ展開する想像力の豊かさで圧倒されてしまいました。
 翻訳の味わいも素晴らしく、ことわざとも詩とも都都逸とも思われる挿入句がところどころにあるのが何とも愉快で、語りの緊張感を解きほぐすゆとりを感じさせられました。

 訳者の皆川正禧という人はじめて知りましたが、東大英文科で小泉八雲夏目漱石に学んだ後、鹿児島で英語の教師をしている時の仕事だそうで、楽しみながら訳しているのが伝わってくるような文章です。この巻に収録されている小泉八雲を讃えた「蓬莱」のほうは堅苦しく美文調が鼻についてそれ程でもありませんでしたが。

 この巻の作品に共通するのは最近の冒険映画、ファンタジー映画を見ているかのような想像力に溢れているところです。というか逆で、最近の映画がこれ等の作品から栄養を吸い取っているというべきでしょうが。

 「ヴァテック」では、魔人が突然球になって転がり逃げヴァテックがそれを追いかける場面、日毎に変化する刀剣の文字、山岳地帯へのキャラバンが猛獣や禿鷹などに襲われるシーン、永遠の苦しみを与えられた水晶のように透き通った心臓等。
 「黄銅の都城の譚」では、四百の墳墓のある宮殿廃墟の風景、二つの炎のように見える黄銅の塔等。
 「シャグパッド」では、貝舟に掴まって夜の海を流される時に傍らを浮き沈みする数多の美女の幻影、貝舟を閉じて怪獣の口から腹の中へ入る場面、鍔に絡む毒蛇のあいだに手を入れてアクリスの剣をつかむ場面、長く伸ばされた剣を遠眼鏡を覗きながら操りその剣の上を伝ってやってくるヌーアナ姫等々、これは書き出すときりがない。

 奇想も至るところに散りばめられています。
 「ヴァテック」では50人の子どもにかけっこをさせて地割れの中に誘い込む企み、「黒島王の伝」では信仰する宗教別に4色の魚に変身させられた人たち、「黄銅の都城の譚」では一千一眼の王達。
 「シャグパッド」では、意表をつく老婆との結婚、髪の毛の真ん中にある「同じもの」という一本の髪の毛、鳥に化せられた人間を救うには1時間続けざまに笑わせなければならないこと、刀身を魔女の頭へ入れて第一の考と第二の考との綴目を断ち考えをまとまらなくさせてしまうという攻め方等々。

所謂、
語り続けて月日は経つが、
臭い香はせぬ噺
ばかりでございます。