安永壽延『日本のユートピア思想』


安永壽延『日本のユートピア思想』(法政大学出版局 1971年)


 前回に引き続き、日本のユートピアに関連した本。前回が羅列型とすれば、今回は一転、論理型です。60年代特有の鼻息の荒さがあり、和辻哲郎折口信夫など名だたる先人を一刀両断にしています。同時に、根底に60年代特有の生硬なイデオロギーがあって、著者が目指している方向には違和感がありました。

 読みにくい文章だと思いながら読み進んでいると、最後の第Ⅲ章の安藤昌益のところあたりからは読みやすくなりましたが、あとがきを読んで、その理由が氷解しました。もともと安藤昌益の論文が書かれ、それを深めて行くうちに、日本の古代に遡っていって第Ⅰ章の「常世の国」が書かれ、古代と近世の間の空隙を埋めるための付けたしのように第Ⅱ章の「弥勒の世」が書かれたということです。やはり著者自身の思い入れが強い第Ⅲ章に、人を引き付ける力があったということです。


 安藤昌益については、高校の歴史で教わりましたが、農業を軸にした独自の思想を展開した人という程度の知識しかありませんでした。これがなかなか極端な面白い考え方でびっくりしました。この本を読んだだけでの理解ですが、「直耕」という概念が軸で、簡単に言うと、人間は自然のなかで生まれた存在だから、すべての人が農業から離れて生きてはならないということのようです。もう少し順を追って書くと、

①自然は季節の変化のなかで、植物の生育をもたらし、循環していて、いわば自然も労働している。植物と同様に、虫、魚、鳥、獣も食を取るために働いている。それが自然の原理であり、人間が耕すのもその一形態にすぎない。

②労働は人間存在の根本的なあり方であり、すべての人間が一様に直耕に従事するかぎり、不平等があるはずがない。原野の人は殻を出し、山里の人は薪木を出し、海浜の人は魚を出し、互いに交易する。

③肉体的労働こそが人間のなす業であり、学問など精神的な労働のみの専従は認められない。歌舞音曲のたぐいも自然に反するものである。直耕を行なったうえで、そうした理念の実現を志すべき。

④聖人や支配階級とそのまわりの知識人は、いずれも「衆人直耕」の成果を盗む「不耕貪食」の徒であり、「国の虱」でありながら民衆を支配し教導している。彼らは天子の名を詐称しているにすぎず、自然直耕の論理を実践する農民こそ真実の天子である。

⑤金銀財貨は欲心ののもとであり、諸悪の根源である。私欲は、聖人が衆人の上に立って不耕貪食して華美を尽くすのを見て羨むことから生じる。

 著者は、昌益の考え方を紹介しながらも、それに対して、自然が植物をはぐくんでいる以上人間が耕す必要があるのかとか、「直耕」概念には生産力の発展の観念が欠落しているとか、昌益は学問や歌舞音曲を排したことによって人間の豊かさを痩せたものにしてしまったとか、いろいろ指摘しています。とりわけ、ユートピア思想というものが本来持っている実現不可能性、すなわちどうすればユートピアをもたらすことができるかという論理がないことがいちばんの嘆きのようです。

 私のおぼろな知識の範囲で言えば、ルソーの「不平等起源論」で論じられたような人間の原初の状態を維持しようという思想のような気がします。安藤昌益の時代は農業の占める比率が高かったので、こういう考え方も不自然ではなかったのでしょう。農業人口が1%を切ったとも言われる現在の状態では、分業を元に戻すのは並大抵なことではありませんが、物事の本質をついた議論のように思えます。分業が生まれるのは、技術の発展がひとつの鍵になると思います。技術史についての本はありますが、分業によって社会がどのように変化していったかの視点で書かれた本はないものでしょうか。


 常世の国については、「根の国」、「妣の国」と呼ばれたような日本古来の土着的な空間であったものが、次第に伊勢の東方海上へと収斂し、伊勢を媒介として常世の国が至福のシンボルとして大和王権へ吸引されて行く道筋が示されていて、その時代に田道間守の常世の国への遠征が語られるようになったのはそうした文脈から生じたものとしています。


 「弥勒の世」の章でも、
①日本も中国もともに、弥勒信仰というものがインドから伝えられて、初めて時間的に未来の彼方へ向けて願望を投影するという精神のあり方を教えられたこと、
弥勒信仰は西洋の千年王国論と似ているところはあるが、破壊と混乱の黙示録的状況を示す西洋と比べて、楽観的な明るさがあること、
阿弥陀信仰より弥勒信仰の方が先に伝えられたが、末法思想の展開とともに阿弥陀信仰が優勢になってきたこと、
④その理由としては、阿弥陀信仰は従来の願望のあり方に近く馴染みやすいうえに、死後すぐに成仏が約束されるという点が受け入れられたこと、
浄土教の描く西方浄土は、金銀珠玉で飾られたきわめて物質的な世界であり、そこでは労働の観念は完全に消滅していることなど、
いろいろと指摘がありました。

 この章では、インドから中国を経て日本に伝わった仏教の壮大な歴史とその世界観が語られていましたが、いろんなお経が釈迦の没後に生まれているようで、いったい仏教の経典の数は全部でいくつあって、それぞれ誰が書いたのかという素朴な疑問が湧いてきました。また弥勒信仰を阿弥陀信仰が凌駕したというところで、広隆寺中宮寺弥勒菩薩像の話が出てきましたが、阿弥陀如来観音菩薩の像は、日本全国でいったい幾つぐらいあるのかも知りたいと思いました。


 付録としてついていた「『はれ』と『反はれ』」では、江戸時代のおかげまいりについて書かれています。女性も男性もさらしの手拭いで頬かむりをし、歌で囃しながら伊勢に向かって旅したということですが、商家や職人の下で働いている小僧が主人に無断で仕事を放棄したり、また親元に居る場合でも親に断りなく飛び出したと言います。京都から出発した「おかげまいり」では、6歳から16歳までが3分の1を占めたというように若者が多かったということですが、今のロックコンサートに集まる心理と似たものがあるのかも知れません。

滝沢精一郎『日本人のユートピア』


滝沢精一郎『日本人のユートピア―茶室と隠れ里』(雄山閣 1978年)


 引き続き日本のユートピアの話。著者は民俗学や中国古典の知識が豊富で、読んでいていろんな話が次々出てきます。別の見方をすれば、話がどんどん脱線して、知ってることに引っ張られて論が展開しているようにも見えます。羅列型とでも言うのでしょうか、簡潔明瞭に論理的に分かりやすく説明する叙述と対極にあります。これは民俗学にありがちなことかもしれません。むかし小学校の先生で、授業の半分が漫談のような人が居ましたが、その先生を思い出しました。

 著者の力説したいことは、この本の後半、第三章から第四章にかけてにあると感じられました。それはかつて日本の片隅にあった共同体、国から隔絶された場所で自足していた平和な暮らしが、次々に消えて行くことへの嘆きです。桃花源、隠れ里、なくなって行く習俗への愛惜がひしひしと伝わってきます。

 日本では、むかし、容易には行き着くことのできない、山また山に限られ塞えぎられた村を、「小国(おぐに)」と呼び、海岸地帯の陸路からは易々とは行けぬような場所にある、意外にほっかりと広く豊かそうな風光の地を「フクラ」と呼んでいたと言います。こうした村々には平和境のイメージがあり、無病息災で幸福かつ裕福な一種の理想境として夢見られていたということです。

 明治・大正までは、役場や学校とまったく縁のない生活を送っていた村がたくさんあり、新潟県山形県の境にある三面(みおもて)村のように、昭和になって初めて発見された村もあると言います。自給自足で暮らせた時代は遠く去り、蕨(わらび)や薇(ぜんまい)をいくら採ってみても、中学高校の学資には足りないのが現代の生活。

 教育免除地というのが昔あったらしいのですが、それも廃され、中学校まで義務教育ということになり、山間部にも小さな学校ができたと言います。夜になって教室で騒ぐ音がするので先生が見に行ったところ狸の仕業。「グランドの隅にしつらわれた土俵の上で、相手のない角力をとっている一匹の狸の姿をのぞみ・・・思わず泣いた教師の談も伝えられている」(p81)とまことしやかに書かれていますが、本当かどうか。

 昔は、椀や盆、こけしを作る木地師が工房を諸国の峰に設けたり、修験者や山窩(関東では箕作りと呼ばれ、竹製品と関係がある)とかマタギと呼ばれる人たちが、山中の人里離れたところに住まいしたり、また平家の落人部落があったりするなど、一種の隠れ里が各地にあったらしい。

 昔の人々には、鯨や熊が一人では捕れないことからも分かるように、〈ゆい〉とか〈もやい〉とか称される共同作業の歴史があり、〈まつり〉や〈村の一座〉で、誰もが謙虚に神に奉仕し、神の徳を讃え、幸福を授かろうとしていたが、いまは、人はとみにこの精神を失い、すべてに傍観者の立場に立とうとしていると著者は嘆きます。

 著者は、テレビ番組「遠くへ行きたい」や「新日本紀行」の取材地を羅列しながら、日本の秘境に近いような各地のそれぞれの魅力を語っていきますが、片やそうした村が、SLの廃線により廃れていったり、渡し船がなくなったり、ダムで湖底に沈んだりして、閉村していく様子が語られています。すでに昭和52年には、全国過疎地域対策促進連盟というのがあって「過疎地域市町村名一覧」を発行しており、全国で総計1093か所が挙げられているとのこと。今から50年も前にすでにこんな状態になっていたのかと、驚くばかりです。

 ところどころに、詩歌も挟まれて、情感を盛り上げます。
桃源の路の細さよ冬ごもり(蕪村)

緑揺する風や洩り来る日の影や林は見する夢遠き国(窪田空穂)

浅緑敷きては遠き草の中わがふる里の響ききこゆる(窪田空穂)

かたはらに秋草の花語るらく亡びしものは懐かしきかな(牧水)

ふるさとを出で来し子等の/相会ひて/よろこぶにまさるかなしみはなし(啄木)

 本筋から脱線した著者の該博な知識のいくつかをご紹介します。
中国人は〈厚葬〉である・・・親孝行の息子は、その生前から棺桶の製作に入る。親はまたでき上がるのを楽しみに、これに入ったり出たり、寝たりする/p29

中国では一月しても二月しても雨の降らぬ地域もある・・・コップ一杯の水で口を漱ぎ、鯨が汐を吹くように、空を仰いで水を吹き、それを顔に受け、地面に滴らぬように両手でしっかり顔をおさえ、顔を左右に振って顔を洗う/p30

狐と狸・・・元来これは同じ動物であったのが、陽性と陰性に分けて、狸と狐にしたのだという説もある/p89

梶井基次郎の「闇の絵巻」は冒頭に、暗闇の中を棒を突き出し突き出しして走る盗賊の話が見える。これを読んだ時、これは山窩の走法だと思った/p181

 大倭紫陽花邑というのが、新しき村一燈園と並んで、日本のユートピア運動の一つとして紹介されていました。新興宗教の一種みたいで、福祉施設を運営したりしているとのこと。地図で見てみると、奈良国際ゴルフ倶楽部のすぐそばにあるようです。

MARCEL BÉALU『la grande marée』(マルセル・ベアリュ『大潮』)

カバー 
MARCEL BÉALU『la grande marée』(belfond 1973年)


 6年ほど前、セーヌ河岸の古本屋で買ったもの。フランスの本にしては珍しくカバーがかかっています。ベアリュは、短篇集『水蜘蛛』を翻訳で読んで以来、『Mémoires de l’ombre(影の記憶)』など譚詩風の作品をいくつか読んで、大好きな作家の一人ですが、本作は後期の作品のようで、これまで知っていたベアリュの世界とはまったくテイストが異なる長篇(中篇?)小説です。普通の小説の書き方ですが、ミステリー仕立になっていて、ベアリュの新たな魅力を発見しました。

 舞台はブルターニュ地方の海岸。岬、断崖、砂浜、苔むした岩肌の見える島、海の激しい流れなど荒涼とした風景が広がり、それに刻々と色を変える夕日の情景が美しい。季節はバカンス客でにぎわう夏から、夏の盛りを過ぎて雨風が強くなって、霧の秋へ、そして何週間も太陽がほとんど姿を見せない冬、春と移ってまた夏、それが2回繰り返されるあいだの出来事です。

 空と海と大地の光と季節に閉じ込められた主人公は、妻を亡くし孤独を求めこの地に隠居していますが、近所のかみさんらから「死ぬのを待ってるだけだわ」と噂されるくらい、すでに死に近くにいます。登場人物は、ほかに断崖の館に住む若い未亡人と、もう一人。

(ここからネタバレ注意)
冒頭から、遠くに見えるが容易には辿り着けない館というのが出てきて、読者の興味を惹きます。その館から出てきたとおぼしき女性が毎朝主人公の家の下の道を通るので、気になり、ある日、植木を剪定する振りをして通せんぼして顔を見たところ、肉感的な顔立ちと、鋭い視線、唇に手を当ててほほ笑んだ表情に魅せられます。近所の噂では、彼女は退役海軍士官の父から断崖の館を遺贈された息子と結婚したが、その夫は交通事故で亡くなったという。

秋になって、意を決して館に行ってみると、彼女の方も待っていて、それから交際が始まりますが、「質問はしないで」と言い、主人公の家にはあまり立ち寄らずしかもわずかしか滞在しないのが少々変。いつも彼女の館で過ごすうち愛人関係となり、主人公は愛人と戯れながら、つねに何か不気味な存在を身近に感じます。どこか別のところで一緒に暮らそうと言っても断られて。

半年以上も経ったとき、彼女からついてくるよう言われ、庭の端にある塔の地下へ降りていくと、そこは海に面した洞窟に繋がっていて、部屋があり机があって、海辺で乞食同然の男が鼠や兎と戯れていました。死んだふりをして生きている夫だと言い、頭がおかしくなって、何もせず何かを待ってるとのこと。騙されたと感じた主人公は彼女と次第に疎遠になっていきます。

図書館で調べ物をしていると、古地図には、断崖の館のところに「蛸の家」という表記があった。そのことを知らせようと彼女の館へ行くと、彼女はすでに知っており、その理由も知っているがまだ言わないとの返事。しかしこれを機にまた関係が戻ってしまいます。ある日、洞窟の部屋で、机の上の夫のノートを見ると、主人公が若いころ書いていたのとそっくりのことが書かれているのを見つけます。そして、また夏。愛人は年に1回最大となる大潮の日に向けて何か準備をしています。

大潮が来る日の夜、彼女の姿が見えないので、塔の地下に降りてみると、そこで、愛し合う愛人と夫の姿を見ます。彼女が夫から身を離して、主人公のところへ戻ってきたそのとき、大潮が洞窟の中に氾濫してきて、巨大な蛸かイソギンチャクのような怪物が触手を広げて襲いかかるように見え、二人は命からがら逃げ出します。今度は彼女の方から別のところで暮らそうと提案されますが、それは言葉だけで、二人とも、来年また運命の日が訪れることを知っており、主人公は、死んだ夫と同じように、その運命に従おうと決意します。

 海辺の美しい風光や、大潮に向けて物語が収斂していく雰囲気、愛人とのエロティックな交情の場面までは、お伝えすることができず、無味乾燥な概括となってしまいました。この物語のポイントは、大潮の氾濫の様子を見て蛸かイソギンチャクの怪物に見えたところにありますが、見えただけでなく、本当に海の怪物がやってきたようにも書かれているところで、それが古地図の「蛸の家」という記述に裏付けられ、主人公も、年1回のその儀式の生贄になることを決意するという結末につながるわけです。

 蛸のイメージは冒頭から登場します。「今朝は、家が沖からの霧の湿った塊に取り囲まれたが、蛸が足を丘の方に伸ばして這い上って来るかのようだった」(p17)とか「太陽が水平線を燃やすと、次第に薔薇色の巨大な蛸が浮かび上がってきた」(p20)。そして古地図に「蛸の家」が載っていたこと(p97)。主人公が、愛人に対して、「蛸の家というのはこの家にぴったりだね。君はただの魅力的な吸血鬼だけじゃなくてまさしく蛸だから」と言う場面(p101)。

 錯視もいたるところに出て来て、一つのテーマになっていると思います。夕暮れの雲を見て、「何千という薔薇色の船が浮かんでいる」(p20)のを幻視したり、大潮が洞窟内で氾濫した際、波のなかに愛人の視線を感じ、巨大な蛸かイソギンチャクが一瞬愛人そのものに見えたり(p133)、最後の場面で、浜辺から断崖を振り返って見たとき、洞窟の穴があり断崖の上に茂みがあるのを見て巨大な女陰を想像したりします(p143)。

 もうひとつのテーマは、この世からの隠遁。主人公自体がまず孤独を得ようとして人里離れた海岸の家に隠居していますし、愛人のいる断崖の館は退役海軍士官が海を見ながら思い出に生きようと手に入れたもので、その館はかつて海賊の一人が老後を穏やかに過ごそうと築いたもの、また海軍士官の息子である愛人の夫も世の中から隔絶して洞窟内で生きようとします。

 主人公は、洞窟の中に住む愛人の夫の様子を見、またノートの記述を見て、「鏡に映った私自身だ。それも今はもうない昔の姿」(p105)と、自分との同一性を感じ、夫と同じ運命をたどろうとしますが、結局、愛人はやはり蛸の怪物であり、夫や主人公を破滅させる魔性の女だったわけです。

日本のユートピア関連二冊

  
中西進ユートピア幻想―万葉びとと神仙思想』(大修館書店 1993年)
日野龍夫『江戸人とユートピア』(朝日選書 1977年) 


 万葉と江戸のユートピアというので共通するものがあるかと思いきや、まったくテイストの異なる二冊。中西進のものは、万葉時代の歌や皇族たちの行動に中国の神仙思考の影響が色濃く反映していることを述べ、桃源郷や蓬莱山、常世といった言葉も頻繁に出てきますが、日野龍夫のものは、桃花源や理想郷に直接言及したものではなく、世間咄、五世市川団十郎の生き方、荻生徂徠やその弟子服部南郭らの詩文を話題としたもので、ユートピアというのは非日常といった意味で使っているようです。

 『ユートピア幻想』は、一種の日中比較文学の書で、『史記』や『文選』、『太平御覧』、『幽明録』、『列異伝』、『遊仙窟』、『列子』などからの引用が頻出し、中西進が中国古典に通暁しているのに驚きました。取り上げられている話題は、持統天皇の吉野行幸に始まり、大伴旅人の梅・松浦河・竜馬・雲に飛ぶ薬などの数々の歌、浦島太郎、藐姑射(はこや)の山、竹取の翁の話、羽衣伝説、若返り・不死の薬、月の桂、桃、廃墟詩など多岐にわたっています。

 比較文学といっても、日本が一方的に中国の影響を受けているという話ですが、次のような指摘がありました。
藤原京造営の直前に、持統天皇の吉野行幸が頻繁に行われているが、これは吉野を仙郷と見立て、造営の無事を祈願しに行ったもの。

②藤原宮が大和三山に取り囲まれた地であるのは、中国の鍾山、終南山、少室山の三神山を模していること。

大伴旅人には神仙趣味があり、中国の望夫石伝説や洛神の賦、遊仙窟など、中国の素養をもとに、その感慨を日本の風景のなかに移し替えて歌を作っていること。

高橋虫麻呂の浦島の子に出てくる常世の概念には、古代日本人が抱いていた根の国、妣の国のイメージに、さらに神仙性が付け加わっているのは、中国の仙郷淹留説話と蓬莱伝説からの影響ではないか。

⑤中国の西王母伝説が日本に渡ってきて、月に若返りの水があるという考えや七夕伝説、再会を期する詩「白雲謡」に影響を与えている。

⑥中国の都の荒廃を嘆く詩「麦秀の歌」や「黍離」などが、近江京の廃墟を歌った柿本人麻呂長歌に影響を与えている。  
 他にもいろいろありましたが、頭の整理がつかず、この程度にしておきます。

 いくつかイメージの強い文章が印象的でした。
蓬莱山を含む五山の場所についての説明で:海界(うなさか)・・・までが平面としての海であり「海界」から傾斜をなして谷間へと水は流れ込む。しかもこのなかにある島とは、海底であるようでいながら海上である(p114)

『捜神後記』の袁相と根碩が仙郷から帰ってきての話:嚢を与えられて帰ってきたが、家の者が開けてみると蓮の花のように一重ずつに包まれており、最後には小さな青い鳥がいて、飛びさっていった。事態を知って根碩は驚き悲しむが、ある日田のなかで働いているうちに動かなくなり、蝉の脱殻のようになってしまった(p124)→蓮の花のような一重ずつの薄さと蝉の脱殻の薄さが呼応していて美しい。

『積字楼炭経』に出てくる話:須弥山の南に大樹あり。名づけて閻浮提といふ。高さ二千里、枝二千里に映ゆ。その影月中に現はる(p196)。→中国らしい大言壮語。


 日野龍夫の文章は、論旨がはっきりしていて、全体の論の運びも、物語を読んでいるような流れがあり、論文の名手という印象を受けました。いくつかの指摘を紹介しておきます。
①江戸時代に異事奇聞が瓦版として出され、諸種の会合で世間咄や百物語をすることが流行ったが、それは日常の生活を営む世界の外側の見知らぬ世界についての情報交換であり、日常世界があまりにも明白で安定した世界なだけに、どんなに取るに足らない情報も、その安定を動揺させる力を備えていた。

②歌舞伎や人形浄瑠璃も、近世社会においては一種のマスメディアであり、例えば、享保2年7月17日の大阪高麗橋の妻敵討の折は、桜橋芝居がたった一晩でこれを劇化して上演したという。→まるで今日のワイドショーのようだ。

荻生徂徠は、朱子学が道徳を強制し人間的欲望を抑圧して人情の自然への不寛容の精神を生み出していると考え、持って生まれた気質をそのまま伸長すべきことを説く気質不変化の説を唱えた。それが人々を魅了し多くの門弟が集まったが、徂徠の志は天下太平にあった。

偽書は、自己の主張を権威づけるため古人を利用しようとするもの以外に、過去について抱くイメージがおのずと筆端にほとばしり出たものがある。一つの世界のイメージが胸中に溢れる大学者ほど自己表現に走った。例えば、加藤仙安は、源氏の消長に取材した大河小説の趣きのある『盛長私記』全51巻、『扶桑見聞私記』76巻と合わせ、少なく見積もって十数年の労力をつぎ込んで偽書を書いた。

 ほかに、壺公という薬売りの壺の中に飛び込むと、そこには宮殿楼閣の立ち並ぶ仙境が開けていたという話(p167)や、「予、性嬾(ものぐさ)にして臥すことを好む」と書出し、「臥せば静かであり、静かであれば寐(ねむ)り、寐れば忘れる」という南郭の詩(p179)が面白く、また荻生徂徠が、出替わり奉公人(一年契約の奉公人)を使うようになった風潮や、旅宿ノ境界(武士が領地を離れて都市住居者になる)やセワシナキ風俗(商品経済の進展で万事に落着きがなくなる)を嘆いているのは(p108)、今日の非正規社員の問題、東京一極集中と資本主義の乱脈ぶりへの批判に通じると感じました。

四天王寺春の大古本まつりほか

 コロナの行動制限が緩和されて、春の開催は3年ぶりとのこと。久しぶりに古本仲間が4名集まりました。開場と同時に会場に入りましたが、さすがに年齢による自己規制が働いたのか、100円均一棚で昔なら買いこんでいたと思しき本を見過ごすなど、1時間半ほどのあいだで、不死鳥ブックスの200円均一棚の1冊のみ。しかし不思議なもので、お昼の集合前に、池崎書店で1冊見つけると次々に出て来て一挙に5冊買いました。昼からはまた1冊のみ。

 最近は、文字がぎっしり詰まっていたり、箱入りの大きな本は敬遠して、詩集など空白の大きな本につい手が伸びてしまいます。今回も、詩集が3冊、堀田善衛のエッセイも字が大きくあっという間に読めそうです(がたぶん読まない)。

 不死鳥ブックスで、
芳賀徹渡辺崋山―優しい旅びと』(朝日選書、86年1月、200円)→先日読了した『江戸人のユートピア』に崋山が出てきたので。

 池崎書店にて、
安田建『英譯歌加留多―POEM CARD』(鎌倉文庫、昭和23年10月、300円)→百人一首の英訳。
渡辺京二『日本詩歌思出草』(平凡社、17年4月、700円)
小川和佑編『日本抒情詩集―明治』(潮文庫、昭和49年8月、200円)→ほとんど持っている詩ばかりだが、一冊にまとめられるとまた味わいが異なる。
由良君美セルロイド・ロマンティシズム』(文遊社、95年2月、1000円)
堀田善衛『バルセローナにて』(集英社、89年9月、200円)
        
 清泉堂倉地書店にて、
埴谷雄高編『日本の名随筆14 夢』(作品社、86年3月、440円)→そのうち夢関係の本を読もうと思っている

 オークションでは、
後藤信幸『存在の梢』(国文社、97年10月、500円)→シュペルヴェイユの研究者の詩句集。趣味が私と似ている。
高貝弘也詩集』(思潮社、02年12月、300円)
福田博『四行詩集彷徨―ルバイヤート詩書集成』(書肆ひやね、08年3月、1100円)→書誌の写真が豊富なのと、日本の翻訳本の紹介が緻密。福田博がどんな人かはよく分からない。
窪川英水『映画に見るフランス口語表現辞典』(大修館書店、94年12月、792円)
坂東眞砂子/磯良一画『見知らぬ町』(岩波書店、08年11月、330円)
      
 思い立って本の整理を始めました。2~3年に1回、段ボール12箱ぐらいをいつも近所の古本屋さんに持ち込んでいます。これも処分する最初の1冊を選ぶのになかなか気が進まなくて、焦ってしまいましたが、1冊を選ぶと次々に出て来て、早くも段ボール8箱分ぐらいになりました。既読の本でも手元に置いておくと、また何か調べるときに役に立つのではと思ってつい残しがちですが、今回は思い切ってよほど印象深いもの以外は処分しようと決意しました。

CATULLE MENDÈS『ZO’HAR』(カチュール・マンデス『ゾハール』)


CATULLE MENDÈS『ZO’HAR―ROMAN CONTEMPORAIN』(G.CHARPENTIER 1886年


 文学史や評論などで、よく名前を目にするカチュール・マンデスを読んでみました。4年ほど前に、神田の田村書店で購入したもの。そう言えばコロナのせいで、神田にもずっと行けてません。マンデスの翻訳はルートヴィヒ二世をモデルにしたらしい『童貞王』(国書刊行会)というのが出ていて持ってますが、未読。

 副題にROMAN CONTEMPORAIN(現代小説)とあります。「ゾハール」だけでは、宗教書か歴史小説か分からないからつけたと思われますが、内容は、たしかに19世紀末の風俗を描いた小説で、舞台も、スペインバスク地方ノルウェイフィヨルドなどが出てきて観光的な要素もあります。背信、堕落や不道徳をテーマにし、悪魔崇拝的な用語を使っていますが、中身は通俗小説。文章も一種の饒舌体で、古典の素養や文学的言い回しは頻出しますが、彫琢されたという感じではありません。

 「下劣」とか「不浄」、「恥辱」とか、その手の汚い語彙がふんだんに出て来て、変な単語ばかり覚えてしまうので困ります。目についたところでは、turpitude, ignominie, vilenie, abject, malpropre, hideux, souillure, infâme, impureté, exécrable, abomination, bafouéなど。

 ゾハールというのは、この作品によると、旧約聖書に登場するバアル神の皇子の名前であると同時に、近親相姦が大っぴらに行われていた町の名で、男色の町ソドムや獣姦の町ゴモラ、レスビアンの町ゼボイム、屍姦の町アデマとともに神に罰された背徳の場所という設定です。また最初の部分で、主人公が近親相姦を讃える「ゾハール」という歌劇に見入る場面があり、そこで演じられる魔宴が、物語の最後のほうで妄想として繰り返される仕掛けになっています。

 粗筋を書いてしまうと、ネタバレ度が強い小説ですが、以下簡単に。
ある貴族の私生児である主人公は、田舎で敬虔な信仰のもとに育てられ、隣家の探検好きで厳格な友人とアフリカへ何度か旅するなどしたあと今はパリで生活している。一方、貴族の正式な妻の娘は母親が死んで修道院に入っていた。その二人が田舎で初めて出会った。が、次の日、主人公は慌ててパリに戻り、愛人を作って放蕩生活に身を委ねる。様子がおかしいのを心配した友人が訪ね、主人公が観劇に行ったという劇場を覗くと、近親相姦をテーマにしたオペラに主人公が見入っているのを見つけた。問い詰めると、妹への愛を告白したので、フランスから離れよと忠告する。

娘は修道院に戻ると、こちらも院長に信仰を捨てると宣言、修道院を飛び出した。が、ある男に求婚され、拒否することもなく結婚式を迎えることとなった。スペインの海辺の町まで逃れていた主人公は、新聞で妹が結婚するという記事を読み煩悶する。が、その日、不意に妹が訪ねてきた。兄の居所が分かったから結婚式から逃げて来たという。主人公は喜ぶと同時に、堕落への危険を感じてその夜は別のホテルへ逃げる。

貴族の亡き妻の悪友が、何とか財産を自分の息子に継がせようと、亡き妻の姉という触れ込みで暗躍していたが、賭博船の上から主人公と貴族の娘がテラスに座っているのを見つける。その娘に遺産が行かないよう策略を講じ、娘は貴族の子ではなく亡き妻の愛人の子だと、主人公に証拠の手紙を見せる。意に反して主人公は大喜びした。妹から愛を告白されていっそう煩悶していたのだ。

潔白を確信した主人公は堂々と愛するようになり、ノルウェイのハダンゲル・フィヨルドの岬の上の館に住み、教会で正式な結婚式を挙げた。ところが、ある日、ベルゲンでばったり昔の愛人に出会い、娘はやはり妹で、あの手紙は女が書いた偽筆と告げられる。絶望の淵に突き落とされた主人公は、妹が自分の子を宿したことを知って崖から身を投げ、妹も葬儀の後、兄の棺の中に入って死ぬ。

数年後、北極の冒険をめざしていた友人が偶然その墓を見つけるが、碑銘に「兄と妹が愛し合った」と堂々と書いているのに怒りを感じ、骸骨3体を崖から足で蹴落とす。

 胎児も骸骨になっていて、小さく鶏の骨に似ていると描写されているのは凄まじいイメージですが、主人公が妄想のなかで、近親相姦の腹から怪物が続々と生まれるのを想像する場面は、ボスやブリューゲルの絵を見ているようです。「地獄で見るような頭や足のない生き物など不具で変形して、膿だらけの気持ちの悪い生き物・・・悪魔の宴のように、蛙人間、蜘蛛人間、蛇を絡みつかせたハイエナや狼の子、跳びはねる青い尻をした猿、後脚で立っている羊の乳母」(p301)。

 推測するに、19世紀ではまだキリスト教の道徳が人々に重圧のようにのしかかっていたので、そこから逃れようとして、悪魔崇拝や堕落が一種の流行のようになったかと思われます。今日のフランスでは、約半数が宗教離れになり、日曜のミサに行く人も5%にも満たなくなっていると言いますから、今さら悪魔とか言ってもピンとこないでしょう。

 この小説では、典型的な性格の人物がいろいろと登場します。まず主人公は信仰の篤いひ弱な貴族の末裔、父親の貴族は元将軍で放蕩三昧の自分勝手な男、主人公の友人はリーダーシップのある厳格な冒険家、主人公の妹にして妻は美人で情熱的で大胆、貴族の亡き妻は贅沢好きな高級娼婦、その悪友はやり手婆で策略家で賭け事が好き、その息子は悪に染まっているが大罪までは犯さない根はまともな青年、主人公の愛人は半分売春婦の歌姫で奔放。それ以外にも、脇役として、友人の母親で兄妹の近親相姦を知ってショックで死んでしまう田舎の世話焼き女、子どもか老婆か見分けがつかず精神も未熟で教理ばかり考え世間知らずな修道院長、病人か聖人か分からないほどの老人で歳とともに寛容になっているノルウェーの教会の司祭。

 例外はありますが大雑把に分けると、信仰心が篤かったり厳格だったりで真面目な男たちと、放埓で自由に振舞う女たちということができると思います。この物語が悲劇の様相を帯びるのは、男が理念や信仰に忠実で、女が感情に忠実という擦れ違いにあるような気がします。

芳賀徹の桃源二冊

  
芳賀徹『桃源の水脈―東アジア詩画の比較文化史』(名古屋大学出版会 2019年)
芳賀徹監修『桃源万歳!―東アジア理想郷の系譜』(岡崎市美術博物館 2011年)


 桃源に関する本は、前回の『桃源郷』以外に、これまで杉田英明編『桃花源とユートピア』、芳賀徹「桃花源の系譜」(『文学の東西』所収)や(2011年3月29日記事参照)、国文学研究資料館編『文学における「向う側」』(2013年9月6日記事参照)を読んできました。今回、芳賀徹の桃源論文の集大成ともいえる『桃源の水脈』と岡崎市美術博物館館長時代に開催した美術展の図録を取りあげます(一部の論文は上記と重複しているものもあり)。

 『桃源の水脈』は、芳賀徹が40年前の壮年時代に「比較文学研究」に掲載した論文と、「桃源万歳!」の図録のために執筆した文章、各種雑誌書籍などに寄稿したものや新たに書き下ろした論文を収めています。大元となる陶淵明の作品から始まり、中国や朝鮮でのその後の桃源郷関連の作品、そして日本への影響を奈良時代から現代まで辿っています。『桃源万歳!』では、芳賀徹の論文以外に、辻原登、多田智満子の桃源にまつわるエッセイ、中国、朝鮮、日本の絵画研究者、江戸漢詩の専門家それぞれの論文が掲載されています。この二冊を読めば、桃源郷についての絵画、文学の各種テーマがだいたい理解できるのではないでしょうか。

 この本を読んでいる時期、ちょうど桜が満開で、近所を散歩をしていて、生駒の山裾にピンクの桜の木が点在するなかに、家がぽつぽつと並んでいるのを見て、のどかな心のぬくもるような思いがしました。桃ではなく桜でしたが、桃花源を考える際、この花びらの桃色がきわめて重要な役割を担っていると感じました。

 これまでと重複するかもしれませんが、印象に残った指摘を我流でまとめてみます。
桃源郷は、極楽や地上の楽園、黄金時代など、種々の夢幻の地や時代とともに、クルティウスの言うような詩的トポスと見なすことができる。トポスとは、ホメロスから始まり、中世、ルネサンスを経て、18、9世紀の文学にまで伝わる一群のモチーフで、結尾のトポス、顕彰や弔慰の弁論におけるトポス、かつて排斥されたものを称賛する「逆さまの世界」のトポス、「老人のように円熟した少年」のトポス、「少女に変貌する老婆」のトポスなどがある。

②西洋の理想郷と中国の桃源郷をいくつかの点で比較している。
ア)西洋の楽園の描写では果樹園のなかにある多種の果物が列挙されるが、陶淵明桃源郷は、まことに質朴でつつましく、しかも現実的である。何の理由でか吠えたてる犬の声や、白昼に間の抜けた雄鶏の時を作る声や、雌鶏のそれに応える声がときおり聞こえてきたりするが、それが要で、深く濃い平和を感じさせる。

イ)西洋の牧歌文学では、家畜の飼育と増殖を生業とする牧人が主人公で、エロティックな要素が強く、男女が恋を語らう舞台となっているが、陶淵明桃源郷では、老人と幼童が戯れていて、ほのぼのと心休まる世界を作っている。

ウ)西洋のユートピアは、人智と人力を尽くして自然環境を支配し、幾何学的都市計画のもとに作られ、市民も功利的な理性によって規制されているが、東洋の桃源郷は、根本において老荘的とも言うべきもので、西洋のユートピアのほとんど反対物となっている。

③美のあり方に関しては次のような指摘。
ア)桃源郷への入口に、桃花の谷間や洞窟など幻想的神秘的な情景があるので、いったん桃源の盆地に入りこんだ後は、普通の人たちが出迎え、平凡で親しみ深い風景が広がった方が、最後に残される不思議の感覚はかえって深くなる。

イ)『西班牙犬の家』に出てくる置時計の文字版には、長い裾を曳く貴婦人と頬ひげのある紳士が描かれ、もう一人の男がその紳士の靴を毎秒1回磨く仕掛けになっている。佐藤春夫の作品では、『田園の憂鬱』でも『美しき町』でも、微細なもののなかに、さらに微細な別世界の映像を追ってゆくミニアチュア的想像力が見られる。

④日本では、江戸時代中頃に、文芸や絵画で桃源郷のトポスが花盛りとなるが、陶淵明の「桃花源記」を、単なる神仙譚としてでなく、田園への郷愁を歌った作品として読み、それを日本の情景に移し替えて、展開していった。

1920年頃の日中知識人のあいだには、トルストイ風の平和主義、肉体労働の再評価、友愛による共同扶助と社会主義運動、さらにはエスペラント運動や新宗教まで含む東アジア共有のコスモポリタンの平等思想、人道主義が共通の背景としてあった。武者小路実篤の「新しき村」運動に感銘を受けた周作人が「新しき村」北京事務所を開設、そこを毛沢東が訪れたという。その後毛沢東が執筆した湖南地方での「新しき村」企画案には実篤の「新しき村」の名前が挙がっている。
以上、『桃源の水脈』より

 福永武彦が一高生の18歳のときに、水城哲男の名で書いた漢文調の詩が引用されていました。桃源喪失の悲哀を歌った「桃源」という長詩ですが、18歳とは思えない格調の高い美文調で、語彙も豊富でびっくりしました。


 次は『桃源万歳!』より。
①恐れは未来の観念につながり、なつかしさは過去の観念につながる。なつかしさを宗教やイデオロギーに仕立てることは難しいが、怖れならできる。原罪を設定し、未来に向けて、罪から解放、救済されるように人間を駆り立てることができる。罪の烙印のある過去の楽園に戻ることはできない(辻原登)。

②遠近法は、ひょっとしたら、天上からみつめ宰領する唯一神、唯一の視点を横倒しして、水平にしただけではないだろうか。いちばん奥の中心点には、画面に見入る〈私〉をみつめている神の目がある(辻原登)。

山水画が、本質的に桃源郷に親和的という指摘が二人からあった。
ア)私たちが山水画の世界に遊ぶとき、いつも、川や滝、霧に煙る森、立ちはだかる険しい岩峰のさらにその向こう、いわば風と景(ひかり)の奥行きの最深部に、無意識裡に桃源郷の入口をさぐっている。それはなつかしい過去にあるのだ(辻原登)。
イ)すべての中国の山水画は、陶淵明が理想とした桃源郷のような世界を描くと言うこともできるのである(宮崎法子)。

④江戸期の漢詩を見ると、桃源のテーマは江戸中期以後に多くなるが、京都大阪の詩人によるものが江戸の詩人よりも多い。その頃から、日本の漢詩の作風は大きく変わり、それまでの盛唐詩や明詩の高雅な表現を模倣する格調派の詩風から、詩人の内部にある詩情を平明かつ写実的に表現する性霊派の詩風への転換が起こった(揖斐高)。

⑤西洋で桃源郷に当るのはアルカディアだが、実際のその土地は不毛の地で粗野な人たちしか住んでなかったという。もともとテオクリトスが故郷のシチリアを懐古しながら理想郷を歌ったが、ウェルギリウスが同じテーマで歌おうとしたとき、すでにシチリア古代ローマの属州となって姿を変えていたので、ギリシアの山間地であるアルカディアを、現地を見ないまま理想郷として歌ったのが始まり(小針由紀隆)。

 最後に、絵画作品で気に入ったものは下記のとおり。
伝仇英『桃花源図巻』、金喜誠『樵客初傳図・競引還家図』、呉春『武陵桃源図』、木下逸雲『桃花源図』、春木南溟『武陵桃源図』、奥村美佳『隠れ里』。ちなみに『桃源の水脈』の表紙の絵は奥村美佳の『桃花の谷』です。