MAURICE MAGRE『CONFESSIONS』(モーリス・マグル『告白録』)

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MAURICE MAGRE『CONFESSIONS―SUR LES FEMMES, L’AMOUR, L’OPIUM, L’IDÉAL, ETC... (告白録―女性、愛、阿片、理想など)』(BIBLIOTHÈQUE-CHARPENTIER 1930)


 マグルの晩年(といっても64歳の生涯で53歳のとき)の回想録。25篇からなり、前半は、若き日の作家を目指しながらの貧乏生活を小説風味わいで語り、途中、阿片についての体験や功罪半ばする特質を考察し、最後は、東洋への目覚めと、前世や死後の世界を隠秘哲学エッセイ風に綴っています。

 最良の部分は、過去の愚かさを反省し懐かしむ文章。若いころ、何も知らないのに、虚栄と慢心と妙な考えから愚かな言動をしたという悔恨と、そのときは気づかなかったまわりの人たちの優しさに思いを馳せる回想が胸を打ちます。私自身も、老齢になってわが身を省みれば、同様の傲慢と無知と自己中心的な振る舞いばかりが思い出されて、冷や汗が出てしまいます。

 著者の美点は誠実ということに尽きるでしょう。真実とか美、善を求めて、素直に探求しようという気持ちにはとても好感を持てます。若いころの見栄や屈辱、作家願望、女性への欲望を包み隠さず書いているところ、阿片の持つ功罪両面に真摯に向き合っているところ、世間的な成功が零落であると喝破しているところ、あの世について語る人には教師然とした人が多いと世の中を澄み切った眼で観察するくだりなど。

 初めて本を出版したときに、ファスケルという有名な編集者の事務所の階段を上りながら胸が高鳴ったことが綴られていて、緊張と初々しさが感じられましたが、その後、ファスケルとは笑いながら食事をする仲になったと書いています。この本も出版元の横に、ファスケルとありました。

 作家たちの名前がいっぱい出てきて当時の文壇の様子がうかがえるのがこの本の楽しみの一つです。ピエール・ルイスが世間一般の人たちにも名前を知られた作家であったこと、シャルル・ゲランが貧乏なマグルを励ましていたこと、アポリネールが阿片窟に居て雄弁だったこと。ポール・フォール、アンリ・バタイユアンリ・ド・レニエ、レオン・ドーデ、アルフレッド・ジャリの名前も出てきました。ジッドはなんとなく20世紀の作家と思ってましたが、マグルより10歳近く年長で、マグルが若いころ詩を見てもらっていたというのには驚きました。

 全篇を紹介するスペースもありませんので、心に留まった佳篇を9篇だけ取り上げておきます。
〇Marinette ou l’amitié intellectuelle(マリネットとの知的な親交)
若いころ、向かいに住んでいた娼婦に詩を読んで聞かせたりデートしたことがあった。彼女と男女の関係にならずに何とか知的な面で親交を結ぼうとしたが、文学とは無縁のまったく別世界の住人で分かり合えなかったことを思い出す。

◎L’hôtel de la rue Monsieur-le-Prince(ムッシュー・ル・プランス通りの宿)
パリに着いて、1カ月だけ泊った宿の思い出。その頃貧しさに憧れていて、いちばんみすぼらしい宿を選んだが、とても狭く、また寒風が入ってくる部屋だった。隣人や家主に親切にされ幸せだったことにそのときは気づかず、毎日毒づいていた。何と愚かだったのだろう。

〇La recherche de l’intelligence(知性の探究)
賢くなろうともがいた若い日を思い出す。いろんな作家から知性の秘密を得ようと接近したが、みんな普段の生活は凡庸きわまりなく、何一つ盗み出せなかった。たぶん本人たちも知らないのだろう。書くときだけ別人になっているのだ。酒の力を頼ろうとしても頭が痛くなるだけだったと、バカ騒ぎをした日々を思い出す。

◎La chaine des binefaiteurs(善意の人たち)
さりげなく言葉をかけてくれたり、元気づけてくれたり、身をもって見本を示してくれたり、ただで食べさせてくれたり服をくれたりと、私の人生を支えてくれた人たちの思い出を語り、感謝する。

〇Les invitations à déjeuner(食事への招待)
食事に招待されて、期待に胸を膨らませても、とんだ勘違いということがあった。それに日にちを間違えて、待ちぼうけを食ったこともある。おかしく悲しい食事会の話題。

◎Gaétane et la vie d’illusions(ガエタンヌ、幻影の生活)
虚言症の女に振り回される話。豪華な館に住み、田舎に広大な地所があり、美人の女友だちがいると言う彼女にふさわしい家を借り家具も揃えた。後でことごとく虚言と分かって幻影が崩れ落ちる。家主が雨のなか手押し車を押し著者を励ましながら引越しを手伝ってくれる最後の場面は泣ける。

◎La veille propriétaire et le mystère de l’au-delà(家主の老婦人とあの世の神秘)
部屋の真上に住んでいる老婦人の家主はいつも話しかけたそうにしていたが、おざなりの挨拶を交わす程度。友人を招いて大騒ぎのパーティをした翌日、家主に呼ばれたので、てっきり追い出されると思っていると、明日死ぬから最後のお別れをしたいと言う。あなたは本をたくさん読んでいるようだから、死んだらどうなるか教えてほしいと。自分の知識が何の役にも立たないことを知って、私は愕然とする。

〇Le retour des morts(死者の回帰)
友人、母親、偶然知った女性ら、死んで行った人たちの思い出を一人ずつ語り、今は死者が自分のまわりから一時も離れることはないと、自分も死に近づくなか過去を懐かしみ、死者は同時にいろんな愛する人のところへ行けるのが特権だと、述べる。

Le pays invisible(目に見えない国)
ローズマリーの香をかげばあの世を垣間見できるような気がする。生きている間は死後の世界を気にするなという人もいるが、余生を中国で過ごそうとする人が中国語を勉強しないことがあるかと、生きている間に、目に見えない世界について考える必要性を説く。

西沢文隆『庭園論Ⅰ』

f:id:ikoma-san-jin:20210910162046j:plain:w150                                      
西沢文隆『西沢文隆小論集2 庭園論Ⅰ―人と庭と建築の間』(相模書房 1975年)


 庭についての本の続き。西洋から日本の庭の方に移行していきます。この本は、庭と建築の関係を空間の視点から論じているのが特徴で、西洋の空間にも目を配りつつ、日本の庭について考えています。建築の実務の分野の方で、一般には知られていない人ですが(私だけが知らないのかも)、学者よりも勉強家で、いろんな庭を調べていて、庭を構成する細かな部分にも通暁されています。これだけの知識が身についていたら、庭めぐりも楽しいものになるに違いありません。

 例えば、西洋建築で、内部と外部を仲介する仕組みに関してだけでも、ロジア、エクセドラ、パスタス、バルコン、ヴェランダ、テラス、ポルティコ、コロネード、アーケード、ギャラリーという区別、滝の落ち方について、向落、片落、伝落、離落、稜落、布落、絲落、重落、左右落、横落という微妙な表現、飛び石一つとってみても、雁行、千鳥、二連打、三連打、四連打、二三連打、三四連打、ひづみ、大曲り、短冊打と、なかなか奥が深い。結局、いろんな用語が出てきますが区別がよく分からないのが難点。著者自身も戸惑っている風なところがうかがえます。

 これまでになかった面白い指摘がいくつかありました。例により曲解を交えてまとめてみますと。
①日本の建築は広い空間を開閉自在な建具によって仕切ってゆくという特徴がある。寝殿造りでは、塗籠(ぬりごめ)という寝室を除いて一室空間であり、几帳、屏風、衝立で軽い仕切りをするだけだった。渡廊下も壁のない吹放し廊で庭と室内はつながっていた。武士の邸宅である主殿造りでは、ある程度塀で仕切られるようになり、室内は完全に外界から遮断されるようになった。書院造りになって、庭は棟ごとに仕切られ、棟ごとに占有される形となる。しかし特別な行事が行われる場合、室内の間仕切建具が取り払われるとまた一室空間となり、寝殿造りの状態に戻った。

②家のなかで靴を履くか脱ぐかの違いが、建築の構造に大きく影響している。西洋と中国ではともに靴を履くので、庭に自由に降り立つことができたが、西洋は冬の寒さに耐え抜くために開口部を小さくしたので、それほど自由ではなく、比較的温和な中国では室内と庭との連続度が大きかった。日本は室内で靴を脱ぐので、家のなか(椽)から庭を見たり、廊を歩きながら左右の庭を見るということが多かった。

③西洋の庭は館の高いテラスから眺望する庭であり、ヴェルサイユなど大きなスケールの庭は歩いて回れるようなものでなく、また風景式庭園も自然との距離が大きく、自然とじかに触れるという感覚はなかった。西洋の庭は、平面図や航空写真で特徴を表示することが可能だが、日本や中国の庭は、人間が庭と一体化するところに醍醐味があり、平面図で示しても意味がない。

④日本の廻遊式庭園の特徴は、いくつもの庭に分割され、一景一景まとまった庭が連続するところにある。連続の仕方にはストーリーがあって深山幽谷に迷い込んだかと思えば突然広闊な池の眺望に接するという具合。イスラームの庭は、壁で庭園を仕切っているが、人の移動にともなって新たな庭園が開けるという点で、日本の廻遊式に似ている。

枯山水の技法が発達した背景には、都市化の進展とともに水源が涸渇したこと、禅宗寺院の山際の立地には水が豊富でなかったこと、建築と庭のあり方が変化して人と庭とが一対一で差し向うようになったこと、禅宗とともに移入された中国の水墨画の自然の骨法を描くスタイルに刺激を受けたことがある。

⑥茶庭は、漫然と歩き庭の景を楽しむためにあるのでなく、外腰掛待合→寄付→外露地→中門→内露地→内腰待合→内露地→蹲踞→躙口→茶室と順次経るなかで、心を山中の澄み切った静謐な状態に置くようにし、茶室に入る心身の準備を完了させるために仕組まれたもの。山中の気分を出すために、木洩れ日が苔に斑を造る程度に樹々を透けさせ、清く掃き清めた地面に枝をゆすって落葉を二、三葉落とすといった心遣いまでする。また茶室に入った瞬間に一輪の朝顔の匂やかさを劇的に浮かび上がらせるために、露地の朝顔を全部もぎ取ることまでした。

⑦日本、中国において、風景のミニアチュール化ということが行なわれた。石そのものを観賞する盆石、自然の山嶽や市邑の風景を連想させる石を観賞する盆山、石そのものを観賞するのでなく風景を造り出す盆景、砂と石を使って盆の上に羽箒を使って山水を描く盆絵、木を小さく育て自然の気韻を味わう盆栽など。一方、ミニチュア化せず原寸大で写す縮景園というのもあり、商店、旅籠、番所などを完備する小都市を縮小したような尾張徳川の下屋敷外山荘の庭、小仏殿、官衙、商店が建ち並び市街を現前させている中国円明園の舎衛城がある。

 その他、ギャラリーはもともとエリザベス朝演劇で中庭で演じられるのを観客が二階から見たその吹放し廊をギャラリーと言い、観賞的意味のない場合はギャラリーとは言わないこと。ヴェランダは北欧的で日光に当たることを目的とし、ロジアは南欧的で日光を避け涼風を楽しむのを目的に造られたこと。日本の川は西欧人の目から見れば川ではなく瀧だということ。伏見山荘では旅人の姿をした人に庭を歩かせて山里の雰囲気を醸し楽しんだことなど。伏見山荘の話は、イギリスの風景式庭園の庵で、瞑想する隠者が雇われ住まわせられた話に似ています。

 また、本を読んでいていろんなことを考えてしまいました。
人間が住居を建てるために木や草を払えば、自然を庭園化しようという意志は働いていなくても、自然はすでに庭園化されている、という記述を読んで、虫が巣を作る場合は巣も自然のなかに含まれるのに、人間が関与したものはすべて人工物とみなされるのは不思議なような気がします。

 昔の人がいかに自然と親しんでいたかをあらためて感じさせられました。釣殿では、酒宴、詩歌の会、観月、観瀑、魚釣などをし、舟遊びするときの乗船場でもあったということや、さし昇る月に滝の水を光らせて楽しんだり、前栽に虫を放って満月を観賞しながらその声に聞き入って夏の涼を取ったり、月の出の時間にしたがって十六夜、立待、居待、寝待、有明と呼び変えて月を楽しんだりしたことなど。

 少し長くなってしまいました。

何かの気配を感じさせる音楽 その⑦ 

 またしばらく音楽から遠ざかっておりました。「何かの気配を感じさせる音楽」のシリーズも、ロシアに始まり、フランス、ドイツと辿ってきて、そろそろネタも尽きてきましたので、今回の拾遺篇でいちおう最後にしたいと考えています。現代の作曲家と、上記以外の国の作曲家、それにこれまでで洩らしていた作品です。

 実はもともと気配の音楽らしきものに出会って意識しはじめたのは、番組の名前の記憶が曖昧ですが、子どものころ深夜に放送されていたアメリカのテレビ番組「世にも不思議な物語」の不安を煽るような音楽がきっかけでした。今から思うと、同じく子どもの頃、映画「ゴジラ」の迫りくる危機を感じさせる音楽にも慄いていましたが、あれも気配の音楽の一種だったわけです。その後忘れておりましたが、『ロシア音楽の祭典』のCDでまた思い出したのでした。

 気配の音楽の淵源がモーツァルトベートーヴェンあたりにあるとしても、盛んになったのはやはりロマン派音楽から印象主義音楽(象徴主義音楽と言いたい)にかけてでしょう。その延長線上に、現代の気配の音楽があります。二つの方向があって、ひとつは印象主義や後期ロマン派から12音技法などの現代音楽に向かう過渡期に、不安定な情緒を醸す音楽が出現したこと、もう一つは、やはり後期ロマン派の作曲技法の円熟の先にある映画音楽の世界で、ドラマ性を求めて気配の音楽が引き継がれたこと。いずれも不安の時代である現代にふさわしい表現になったのだと思います。


 現代音楽へと向かう音楽については、ドイツ音楽のところで取り上げたリヒャルト・シュトラウスマーラーやレーガーもそれに該当すると思います。ここではR・シュトラウスの作品で忘れていた「死と浄化」を追加で取り上げておきます。
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リヒャルト・シュトラウスメタモルフォーゼン/交響詩《死と浄化》』(Grammophon POCG-1270)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 第二次大戦終了直前に作曲されたという「メタモルフォーゼン」よりも、50年以上も前に作曲した「死と浄化」のほうが、不安定な情緒に満ちているというのが不思議です。冒頭からもやもやとした感じが続き、夜明けのような雰囲気のなかで、ティンパニの鼓動があり、ハープの調べに乗って何かが目覚めようとします(https://youtu.be/REpeca_dznc)。途中美しいヴァイオリンの独奏の後、5:20ごろに突然、風雲急を告げるような不気味な曲想が現われます。

 マーラーが指揮者だった時代に、ウィーンフィルでチェロを弾いていたというフランツ・シュミットにも、気配が感じられる部分があります。
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FRANZ SCHMIDT『The String Quartets』(Nimbus NI 5467)
FRANZ SCHUBERT QUARTETT
 弦楽四重奏曲の第1番の第1楽章は耳に残る美しい楽章ですが、6分15秒あたりから曲想ががらりと変わり、弦が揺らぐような響きで不安定さを醸し出す部分があります(https://youtu.be/0LNEtXOMYvw)。

 これもマーラーにいち早く才能を見出されたコルンゴルドは、現代音楽と、映画音楽に向かう二つの性格を併せ持っていますが、前者の分野で思いつくのは、「交響的セレナード」でしょう。
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Eeich Wolfgang Korngold『Symphonic Serenade/Sextet』(CPO 555 138-2)
Hartmut Rohde指揮、NFM Leopoldinum Orchestra
 「交響的セレナード」の第1楽章では、4分過ぎから、低弦がお化けが出てくるような不気味な響きを一瞬だけ奏でます(https://youtu.be/xOY2dQTmfqU)。この作品は、マーラーの曲想を思い出させる部分が多く、第3楽章ではマーラーの緩徐楽章、第4楽章もマーラーのグロテスクなスケルツォに似ています。


 映画音楽へとつながる気配の音楽の系譜では、コルンゴルドやヴィーチェスラフ・ノヴァーク、フローラン・シュミットらが挙げられると思います。実際に、コルンゴルドは映画音楽作曲家としてハリウッドで大活躍しましたし、フローラン・シュミットも『サランボー』の映画音楽を作曲しているみたいです。まず、コルンゴルド
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ERICH WOLFGANG KORNGOLD『THE SEA HAWK』(Grammophon 471 347-2)
ANDRÉ PREVIN指揮、LONDON SYMPHONY ORCHESTRA
 このCDには「シー・ホーク」をはじめ、「キャプテン・ブラッド」など4つの映画音楽が収められていますが、「シー・ホーク」の2曲目「Reunion」の冒頭では、霧の出た海をたゆたうような不安定な気分がハープと弦によって奏でられます。何となくリムスキー・コルサコフの『サルタン皇帝の物語』の第2幕前奏曲「樽に乗って漂流する皇妃と皇子」を思い出させます(https://youtu.be/ter8kgExMWo)。

 ノヴァークは、ブルックナー交響曲の校訂をしたレオポルト・ノヴァークとは別人のチェコの作曲家で、音楽を聴けば瞭然、描写的で、この人もマーラーの後継者と思われます。コルンゴルドにも近い感じがします。
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ノヴァーク『管弦楽作品集 第1集』(NAXOS 8.574226)
マレク・シュティレツ指揮、モラヴィアフィルハーモニー管弦楽団
 「南ボヘミア組曲」の3曲目、「むかしむかし:フス教徒の行進曲」が、もっとも気配を感じさせる音楽となっています。冒頭から何かが芽生え、近寄ってくる気配が濃厚。ティンパニが不気味に響き、何かが着実にやって来る足音が聞こえてくるようです(https://youtu.be/H9jT58yPPEs)。その後も続き、徐々に高鳴って、最後まで緊張感が途切れることはありません。
 このCDに収録されているもう一つの曲、交響詩「トマンと森の精」も、冒頭から、洞窟から何か怪物が出てくるような雰囲気があります(https://youtu.be/ArF94sI2hBE)。その後もところどころ同様の不気味なところや何かが起こりそうな気配を感じる部分がありました。

 フローラン・シュミットには、交響的練習曲「幽霊屋敷」というのがあり、マラルメのポー訳詩にインスピレーションを得て作曲したという触れ込みで勢い込んで聴きましたが、始まって3:00あたりで束の間、ハープの不安げな響きがよぎっただけで、期待外れ。同じCDの劇付随音楽「アントニークレオパトラ」のなかに、気配を感じさせる音楽がありました。
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フローラン・シュミット『アントニークレオパトラ他』(NAXOS 8.573521)
ジョアン・ファレッタ指揮、バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団
 「アントニークレオパトラ」第2組曲の3曲目「クレオパトラの墓」がそれです。冒頭から、木管のの短いフレーズのやり取りが進むなかで、低弦が不気味な雰囲気を盛り立てていきます(https://youtu.be/KHfhA2N4d9k)。この後も、2分30秒ぐらいから、また5分50秒ごろからも不気味な感じがありました。

 映画音楽の世界は、気配の音楽の宝庫と思われます。ヒッチコックなどサスペンス系の映画に顕著なような気がしますが、それはサスペンスという言葉自体が、これからどうなるかという不安定な状態に宙吊りにされるということで、まさに気配に通じる意味を持っているからです。映画音楽は、私のように残された時間も財力も視力もない者の手には余るので、どなたかにお任せしたいと思います。


 20世紀になっての音楽では、まず思い出すのは、もっとも有名な次の曲でしょう。
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ショスタコーヴィチ交響曲第5番』(PHILIPS PHCP-1704)
セミヨン・ビシュコフ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 第1楽章全体に何カ所も、もやもやした雰囲気のところがありますが、代表として、低弦の動きが不気味な冒頭の有名な部分を引用しておきます(https://youtu.be/9Wj1nSXaNIw)。
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SHOSTAKOVICH『violin concerto』(Grammophon 471 616-2)
ILYA GRINGOLTS(Vn)、ITZHAK PERLMAN指揮、the Israel philharmonic orchestra
 同じくショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章冒頭の緊張感と清冽さと重々しい雰囲気は交響曲第5番と似ているところがあります(https://youtu.be/cLHpeOQwz8w)。

 もう一人20世紀、かつイギリスの作曲家にホルストがいるのを忘れてはいけません。
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グスターヴ・ホルスト組曲《惑星》』(Grammophon POCG-50041)
ジェイムズ・レヴァイン指揮、シカゴ交響楽団
 一曲目の「火星」は、冒頭から一定の持続するリズムを刻みながら何かが近づいてくる感じが漲って、次第に音を大きくさせてきます(https://youtu.be/8ljFfoN8lgA)。その後、3分20秒頃から、うねるような旋律が不安をかき立てるなか、突然あの強烈なリズムが戻ってきます(https://youtu.be/nH9R5BcxcSM)。
 「土星」も冒頭から、2音の音形が同じリズムで進んで行くなか、うねるような低弦が現われるところに気配が感じられました(https://youtu.be/ddS-1hPuQ8w)。

 仏独露以外の作曲家では、ノルウェーグリーグの「ペール・ギュント」に気配の音楽がありました。
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グリーグペール・ギュント』第1組曲ほか(JPCD-1002)
渡邊曉雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団
 第1組曲の4曲目「山の魔王の宮殿にて」では、冒頭の何かに向って進んで行くような感じの繰り返しのリズムが不安感を煽り立て、同じようにファゴットの出てくるデュカスの「魔法使いの弟子」を思わせます(https://youtu.be/fbxOclH2cIA)。この後もどんどん高まって行きます。

 フランス・ドイツの作曲家の作品で、後で洩らしていたと気づいたのは、ベルリオーズの「イタリアのハロルド」と、リストの「悲しみのゴンドラ」の2曲です。
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ベルリオーズ交響曲「イタリアのハロルド」』(ERATO WPCS-28025)
ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・カピトール管弦楽団
 一曲目「山におけるハロルド」の冒頭、低弦が唸るように蠢いて、旋律にも不安定さがあり、不気味な雰囲気を醸し出しています(https://youtu.be/Iz_cdYJp_KY)。
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FRANZ LISZT『La Lugubre Gondole』(harmonia mundi HMG 501758)
Emmanuelle Bertrand(Vc)、Pascal Amoyel(Pf)
 このCDのジャケットも、前回のレーガーのCDと同様ベックリンの「死の島」で雰囲気があります。リストの「La Lugubre Gondole(悲しみのゴンドラ)」では、冒頭から不吉なピアノの大きな3つの音が響き、その繰り返しがチェロを挟んでたびたび顔を出すのが、不吉な気配を感じさせます(https://youtu.be/D6zZpbTUM5c)。曲の終わりにも同じ響きがもう一度顔を出します。


 結局、「気配」という言葉の定義もあいまいなまま、個人の感覚で適当に知っている曲を並べただけの話になってしまいました。他にも抜けている作曲家や作品は数多くあると思います。また全体を総覧して、いくつか気のついたこともあり、まとめのようなものを作ろうかとも思いましたが、不勉強かつ能力に余る中途半端なことは止めることにしました。音楽理論に則って正確な位置付けができる方に、気配の音楽の系譜をきちんと論じていただければと願っています。
(なお、引用音源については、各音源会社の許可は逐一取っておりませんが、90秒以内であれば引用と認められると勝手に解釈して添付しております。関係各位のご寛恕をお願いします)。

『庭園の詩学』

f:id:ikoma-san-jin:20210830101216j:plain:w150                                        
チャールズ・W・ムーア/ウィリアム・J・ミッチェル/ウィリアム・ターンブル・ジュニア有岡孝訳『庭園の詩学』(鹿島出版会 1995年)


 この本には、これまで読んだ庭園の本とは違うテイストがありました。タイトルどおり、詩的な着眼点がすばらしいこと、広い範囲で庭を捉えていること、庭の分類法が個性的なこと、世界の庭を公平に扱っていること、ディズニーランドを含め現代アメリカの庭園について過去の知識を動員して批評していること、新たに描き起こしたアクソノメトリックをはじめ図版が豊富なこと、それに王や作家など歴史的人物、庭園研究者による架空対談が最後に附録としてついているところ。メンバーの誰か(あるいは全員)が文学趣味の人なのかも知れません。


 序章で、居心地のよい自然の場所を切りとるだけでは庭とは言えず、そこに人間の働きかけがなければならないとし、第1章で、山水、植生、地形、日照、音、匂い、そよ風などの自然の要素を場所の精神として規定し、第2章で、人間が、それらの自然の要素を選択調整して、四分割やランドマークなど庭をどうデザインし、どんな素材を集め、水、光、香り、音など環境をどう整え、庭園に対してどのように特別な意味を賦与してきたかを追求しています。これらの部分はこれまで読んだ類書に比べてとても充実していて、庭に関する百科事典のようなところがあり、また風景に関する類語集とも思えるぐらい多様な言葉が出てきました。


 第3章では、現実の庭にはいくつもの要素があり厳密な分類ではないとしつつ、しつらい、収集、巡礼、パターンという四種類の独自の分類をして、各地の庭の実例を説明しています。
しつらい:自然がお膳立てしてくれた場所の力によって成り立っている庭、例えば、巨岩が圧倒的なオーストラリアのエアーズ・ロック、壮大な風景を僅かな石で表現する竜安寺枯山水など。

収集:人間が収集したものが集積された庭、例えば、帝国のさまざまな思い出を集めたハドリアヌスのヴィラ、ディズニー映画の世界を収集したディズニーランドなど。
「しつらいが隠喩であるならば、収集は、その由来を喚起する歴史的な遺物や断片で構成された転喩と見なされるかもしれない」(p67)とも書いてありました。

巡礼:中を旅するかのようにめぐることができる庭、例えば、巡礼たちが集まるヒマラヤのアルマナートヴェルギリウス「アエネイド」の世界を具象化したイギリスのストゥアヘッドなど。

パターン:これは十分理解できなかったが、四分割が基礎となって、細分化したり、対称的な展開をすることで、五点形などのいろんなパターンの庭をつくることができるという、例えば、四分割が反復的に細分化されているタージ・マハルの庭、左右対称が力強さを生んでいるヴォー・ル・ヴィコントの庭など。そして、「パターンの庭園には、詩との類似性がある。詩も、歩格とともに韻律や韻を踏む言葉がパターンを創出している」(p68)とありました。


 その他、いくつか印象的だった文章を羅列してみます。

ローマ人は、人の表情を読むように、場所の内に在る魂が外側に現わす表情を読み取った(p11)

哲学者の仕事として記述される以外にはない庭園もある。特に、日本庭園はそうである・・・京都の竜安寺の禅の庭園のように(p38)

庭園の階段は、無限の不思議さを想い起させることができる。区切られた、広がる空に向かって上がり、あるいはまた、土や水の中に下り、誰も知らない地下の奥深くに、廃墟が隠され、広がっていることを暗示させながら姿を消すこともできる(p41)

庭園の色彩は、明るさによっても変化する。中庸な光の下では、樹葉の色合い、そして花々の色合いは、最も純粋な状態にあるが、柔らかな月明かりの下では、多くの色合いが洗い流されてしまう・・・最後にあげるべき光の美しさは、光沢のある表面、特に水の表面から反射された光の煌めきと輝きである(p54~55)

小さくなだらかで、段階的に変化するものが、美しさの特徴であった・・・美しさは、崇高さの特徴である、恐ろしく荘厳で厳格な、自然、山々、大きな割れめ、獰猛な野獣のようなものとは対照的である(p61)

庭園は、庭園以外のすべての風景と同じ素材でできている。それは修辞学者の言葉が、他の人の言葉と同じ言語で構成されているのに、教示、感動、喜びを与えてくれるのと正しく同じである(p67)

乾隆帝の時代、皇帝の行幸のときに、山の頂から水が流される仕組みになっていたが、実は皇帝から見えない所で、クーリーたちが一列になってバケツをリレーして、山の頂まで水を運んでいた(p106)というのは、さすが中国と、驚いた。

 
 第3章以降、個々の庭園の紹介に入ると、詳細を語るのが専門的過ぎてついて行けないところがありました。また最後の架空座談会も自己満足的な印象があります。翻訳についてはかなり癖があり、発音を原音に忠実にしたいのか、普通名詞では、一般的に「イメージ」、「ゲーム」、「ステンドグラス」と書くところを、「イメィジ」、「ゲイム」、「スティンドグラス」としたり、人名では、「マルグリット・ユルスナール」、「ライナー・マリア・リルケ」を「マルグゥリート・ユースナー」、「レイネー・マリア・リルケ」と書くなど違和感がありました。また、技術系の横書き論文ではよくあるようですが、読点を「、」ではなく「,」としたりするなど、あまり好きにはなれませんでした。

岡崎文彬の二冊

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岡崎文彬『ヨーロッパの名園』(朝日新聞社 1973年)
岡崎文彬『名園のはなし』(同朋舎出版 1985年)


 引き続き岡崎文彬。前回の『ヨーロッパの造園』が概説とすれば、この二冊は、著者のお気に入りの庭園を個別に紹介した本。『名園のはなし』のなかで、「退職後、私が企画した『名園を探ねる旅』は10回近くに上っており」(p68)と書いているように、学者というよりも、旅行代理店のツアーガイドの目線で書かれており、観光案内的な印象が濃い。             

 『ヨーロッパの造園』の写真は小さくて見づらかったですが、この二冊では、写真は大きくあしらわれ、さらにカラー写真もあって、より分かりやすくなっています。内容的に『ヨーロッパの造園』につけ加えられたことは、個々の庭について詳しく解説がなされていることぐらいで、庭園の見方については変わりはありませんでした。『ヨーロッパの名園』と『名園のはなし』の違いは、『名園のはなし』では、タイや中国、韓国など東洋の名園にも言及があるということ、大規模なものを避けて、こじんまりした庭園が取り上げられているということでしょうか。

 写真を眺めていて、人間の造形の力がみなぎる整形式庭園と自然のおおらかな優しさに包まれるような風景式庭園の双方に、それぞれの魅力を感じました。ガゼルタ離宮のカスケードの壮大さ、ロワールのヴィランドリー城の装飾花壇やイタリアのガルツォーニ荘の花壇の緻密さ、ヴェルサイユを模したヘレンキムゼーのラトナの泉水の劇的迫力、それに対してのエルムノンヴィルのルソー島やベルギーのベロイュ城の風景庭園の静けさ。

 エトルスキの遺物がどこの博物館よりも多く陳列されているというローマのジュリオ荘、近代の迷路の代表と紹介されていたバルセロナのオルタのエル・ラベリントにも行ってみたい。

 「ブリッジマンは整形園と非整形園との橋渡しをした造園家」(『名園のはなし』p15)という文章がありましたが、これは洒落を言うためにわざわざ書いた言葉でしょうか。近くへ行かないとそこに垣があるか分からず、みんな「ハハア」と言うので、「ハハア」と名づけられた隠れ垣を発明したのも、このブリッジマンということです。


 ここからは蛇足ですが、ピョートル大帝が、ル・ノートルの高弟ル・ブロンをフランスから総監督として招聘し、大樹林を人工的に作り上げるなどしたペトロドヴォレツ庭園の工事で、何千人もの労働者が寒さと飢えと疫病で命を落としたと書かれているのを読んで(『ヨーロッパの名園』p226)、巨額を投じ人々を苦しめても造ろうとする意味は何かと考えてみました。

 万里の長城なら、国の防衛ということで分かりやすいですし、ピラミッドや兵馬俑も死後の世界に係わりがあるということで分からないでもないですが、峻厳な山腹に建てられたノイシュヴァンシュタイン城や、広大な敷地のヴェルサイユ宮殿の意味は何でしょうか。美に対する執着か、権力の誇示か。現代に置き換えると、巨大なオリンピック・スタジアムを造ったり、超高層ビルを競い合ったり、立派なオペラ・ハウスを造ったりすることと共通点があるのかもしれません。美や技術を総合した文化の力で、国力(あるいは都市力)を示すということでしょうか。規模は小さくなるとはいえ、これらの本に紹介されている数々の庭園もそうした文化的な威信の現われということでしょう。

 そのとき、建造に携わった人々はどんな思いだったのでしょうか。現代では、現場の作業者にはプロとしての誇りがあります。過去においても、設計や全体のマネジメントにかかわる人には、世紀の建造の一端を担うという思いがあったはずです。実際の労働者はどこまでそれを感じていたのでしょうか。一般に考えられているのと違って、戦争の捕虜となったりして作業させられたとしても、奴隷として働かされているという気持ちの他に、少しは喜びも感じていたように思われてなりません。シジフォスの神話のように、無意味な労働を強いられるのでない限りは。

CLAUDE SEIGNOLLE『HISTOIRES MALÉFIQUES』(クロード・セニョール『不吉な物語』)

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CLAUDE SEIGNOLLE『HISTOIRES MALÉFIQUES』(marabout 1965年)


 久しぶりに、クロード・セニョールを読みました。中篇、短篇取りまぜて、14篇収められています。中篇「Le rond des sorciers(呪術師たちの輪舞)」は、フランス語で既読なので今回読まず(2019年2月14日記事参照)、「L’âme boiteuse(びっこの霊魂)」、「Le bahut noir(黒い櫃)」、「Ce que me raconta Jacob(ヤコブの話)」、「Les âmes aigries(騒がしい魂)」、「Le Chupador(シュパドール)」の5篇は翻訳(山田直訳『黒い櫃』創土社)で読んでいたので、いちおうフランス語でも読みましたが縮訳まとめは作りませんでした。

 セニョールの傑作群が詰まっている印象。情景描写や心理描写にこだわり文飾に凝っていて、民話蒐集家の割には難しい文章でした。パリを舞台にした話が多く、聞いたことのあるような地名が頻出して懐かしく思われ、パリ市街図を引っ張り出して場所を確認しながら楽しく読みました。また、ジャン・レイによる序文が付いていて、生々しい残虐さを描くセニョールのノンフィクション的な迫力について言及していました。 

 幻想小説でおなじみの分身譚(「Le bahut noir」)、吸血鬼譚(「Pauvre Sonia!(可哀そうなソニア!)」、「Le Chupador」)、狼男(「Ce que me raconta Jacob」)、過去と現在の往還(「Le bahut noir」、「Et si c’était!(もしそうだったら!)」、「Delphine(デルフィーヌ)」)、死霊との契約(「L’homme qui ne pouvait mourir(死ねなかった男)」)、永遠の長寿(「Le millième cierge(1000本目の蝋燭)」、「L’homme qui ne pouvait mourir」)、骨董品の呪力(「Le bahut noir」)、魂が動物になる話(「L’âme boiteuse」、「Les âmes aigries」)などが満載。 

 個々の作品の印象など少し。                                            
〇L’âme boiteuse→翻訳の「びっこの霊魂」の後半部分。
 びっこを引いていた叔父の口から魂が抜け出る場面があるが、魂が鼠の形をしていて、やはりびっこを引いていたというのが面白い。

◎Le bahut noir→翻訳あり
 現在と過去を行ったり来たりする男。自分が老齢になったときが過去の設定になっているとか、25歳で死んだのに老齢となって物語に登場するとか、いくつかつじつまの合わないところはあるが、物語の迫力の前には大したことではない。夜になると、過去に戻る悪夢を見る場面が圧巻。そして夜見た場所を昼に訪れ確認するというところもすごい。第三者(骨董商)の話にしか登場せず、手紙の書き手として、また現実には後ろ姿しか見せない謎の買い手の存在が光っている。

◎Pauvre Sonia!
まだ若いのに娼婦となったソニアは、いつもかび臭い土だらけの服を着ていて、橋の下で寝てるんじゃないかと言われていた。化粧もせず愛想も振りまかず、がっちりした男を見つけては首にかじりついて放さない。ことが終わるとなぜか男はフラフラになって出てくる。私は彼女が気になって後をつける。ある日ペール・ラシェーズの墓地に入って行くところを目撃した。呼びかけの文体が何とも言えない吸血鬼譚。

〇Ce que me raconta Jacob(翻訳では、狼男の独白体の話が後に付属している)
ナチスの親衛隊は実は狼だったという都市伝説のような雰囲気の物語。赤狐の化身と思われるヤコブという偏執狂的な人物の造形が魅力。セニョールの収容所体験が刻印されているのだろう。

L’exécution(処刑)
日曜日のパリで堂々と行われたスペクタクル、それは中世の処刑劇だった。セーヌ川を厚板を積んだ平底船がやってきたとき、私だけが異変に気づいた。4人の赤いレオタードの男たちは市役所広場に素早く演壇を作ると、鉄球のついた武器で処刑劇を演じ、パトカーのサイレンで早々に逃げた。その直後、オープンカーが広場の街灯に激突し、運転手は、落ちて来た電球で処刑されたかのように八つ裂きになった。

〇Les âmes aigries→翻訳の「びっこの霊魂」の冒頭部分
第二次大戦で破壊された村の教会の跡地に群がる青蠅は死体から湧き、羽音で死者の悲しみを伝え死の国に誘おうとする。また呪われた土地の教会の石に群がるナメクジも死者の魂で、この石を運び終えないとわしらは天国に行けないと嘆き、お前が死んで力を貸してくれと言う。民話ふうの味わいがある短篇。

◎Le millième cierge
蝋燭の火が燃え尽きると死んでしまうので、ずっと火を絶やさないようにしなければならなくなったというたわいもない話だが、それが明かされるまでの導入部や、かつて美人だったが今は零落した女乞食との生涯続く確執を告白する男の語りが迫真的。お互い憎しみ合っていたはずだが、男の死を知った女乞食は最後に涙する。不覚にももらい泣きをしてしまった。

◎Le Chupador→翻訳あり
血管の中を有刺鉄線でかき回され、大動脈が静脈や毛細血管ともども引き抜かれ、自分の血だまりが窓と家具の間で網のように固まっているのが見えたり、天井から注射針が降りて来て心臓を突き刺したりという血を吸い取られる悪夢の場面が凄い。シュパドールの描く責め苦に満ちたシュールレアリスム的奇想絵画と共鳴している。

Le Faucheur(鎌を持った男)
死神を見た男の話。鎌を抱えた土のにおいのする農夫をヒッチハイクでトラックに乗せた。なぜかスピードがどんどん上がって農夫は嬉しそうだった。気持ちを抑えるために話し始めると、今度はつまらなそうにした。気を引こうと鎌にまつわる話をあれこれし、鎌名人を讃えると農夫は何か決意したようにガソリンメーターを指さした。ガソリンスタンドで、前のタイヤがパンクしてるのを教えられ、農夫にお礼を言おうとしたら、誰も居ない。

L’homme qui ne pouvait mourir
奴は悪魔と契約した、と村人たちが噂する老人がいた。祖父の時代のさらに前からすでに老人で、飛び回って村の噂を集めていた。子どもだった私が老人のあばら屋を覗いて真相が分かった。奥には墓地があり、契約の相手は現世の情報を知りたがる死霊だった。2世紀ものあいだ死なしてくれないのだ。

Un petit monstre à louer au quart d’heure(15分間だけの化け物)
月に一度現われて上客を取っていく街娼が噂になっていた。私は正体を見届けようと毎晩待ち、ついにその女が客を連れて建物に入って行く後をつけた。鍵穴から覗いてみると…。大きな胸と思っていたのは実は折りたたんだ脚で、女は巨大蜘蛛だったのだ。奇想天外だが怖さがにじみ出ている。

Et si c’était !
乞食がたむろし悪漢が跋扈する危ない場所に惹きつけられていた私は、ある夜、乞食に追いかけられて逃げ込んだ場所で、見えない相手に2回も殴られた。同じ場所で同じ曜日に、額を怪我する者が続出し、みんな襲った相手を見ていないという。過去にヒントがあると考え図書館で調べると、そこは100年前に袋小路で壁のあった所だった。

◎Delphine
深夜、パリの市内を散歩中に出会った少女はときどき立ちどまり恐怖の表情を浮かべた。一世紀前の服装をしていたが目がキラキラしていた。一目で恋に落ちた私はデルフィーヌという名前だけ知る。それから夜ごと、彼女を待ちかまえるが、いつも同じ場所で恐怖の表情をする。そして最後に分かったことは、彼女はバリケードが築かれた1830年の革命の町を歩いていたことだった。プレゼントした赤い服がかえって目立って彼女を死なせてしまうことになった悔恨が余韻として残る。

ふたつの古本市報告ほか

 水曜日、下鴨神社納涼古本祭りの初日に行ってまいりました。今年は、いつもの古本仲間も集まらず、会場で古本魔人のMさんとsacomさんと少し言葉を交わしただけでした。こころなしか出店数も減っているみたいで、1時過ぎまででだいたい見終わった、というよりどっと疲れて見切りをつけたと言うべきで、帰途につきました。

 例年になく買った本も少なく、二カ所で7冊買ったのみ。まず吉岡書店で。
藤井昭譯『ハウフ童話集』(金正堂、昭和9年12月、250円)
長谷川潔『白昼に神を視る』(白水社、平成3年5月、250円)→以上2冊は、2冊500円コーナー
貞久秀紀『石はどこから人であるか』(思潮社、01年5月、300円)
山崎正和『装飾とデザイン』(中央公論新社、07年6月、250円)
高橋健二訳『ヘッセ詩集 孤独者の音楽』(人文書院昭和36年8月、300円)→別に買うつもりもなかったが、ページをめくって何となく心にしみたので。下記の『ヘッセ詩集』も同じく。
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 次に、三密堂書店の3冊500円コーナーで、3冊に届かず。
ワレリイ・ブリューソフ草鹿外吉訳『南十字星共和国』(白水社、73年1月、200円)→W買い
尾崎喜八訳『ヘッセ詩集』(三笠書房、67年4月、200円)


 遅ればせながら、7月の阪神百貨店の古書ノ市の結果も報告しておきます。ここでも買ったのは4冊のみ。まず矢野書房で。
清水茂『イヴ・ボヌフォワとともに』(舷燈社、14年11月、1500円)
白川静監修小山鉄郎編『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』(共同通信社、06年12月、500円)→白川さんの本を直接読めばという声もありましたが、絵がついていて分かり易そうだったので。
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 マヤルカ書店というところで。
宮元健次『月と日本建築―桂離宮から月を観る』(光文社新書、03年8月、350円)
 店名を忘れた。
西野嘉章『〔新版〕装釘考』(平凡社、11年8月、800円)
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 ネットでは、1カ月の間で下記3冊のみ。
内田愃『蛇と薔薇』(牧神社、昭和54年2月、792円)→長年探していたが、意外と安価で入手できた。
「藝林閒歩―鷗外と柳村に捧げる記念號」(的場書房、昭和29年10月、500円)→第二期の創刊号
高岡修句集『剥製師』(深夜叢書社、19年9月、500円)→詩も書く人だが、句の方がしっくりくるみたい。
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 いよいよ古本買いもフェードアウトか。