OCTAVE UZANNE『JEAN LORRAIN』(オクターヴ・ユザンヌ『ジャン・ロラン』)

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 OCTAVE UZANNE『JEAN LORRAIN―L’ARTISTE-L’AMI SOUVENIRS INTIMES LETTRES INÉDITES(ジャン・ロラン―芸術家でありまた友人 その思い出と手紙)』(Édouard 1913年、Facsimile Publisher 2016年)

 

 1913年の初版のリプリント版。字がぼやけて読みにくい。フランス語の評論の文章は難しいので、日頃避けるようにしていますが、やはり読み慣れない難しい単語が頻出して、65ページの小冊子なのに遅々として進みませんでした。いい加減に読み飛ばしたところも多くあります。あまりほかの評論を読んでいないのに偉そうなことは言えませんが、文章は、やや美文調で畳みかける調子があるように思います。

 

 オクターヴ・ユザンヌは日本でも書物に関する翻訳があるし、ジョルジュ・ノルマンディのロラン評伝にも登場していたので、名前は知っていましたが、読んだことはありませんでした。ロランの大親友であり、ロランを案内してアムステルダムへ旅したことがきっかけで生まれたのがロランの「Monsieur de Bougrelon(ブーグルロン氏)」ということです。

 

 ロランの死後フェカンに作られた記念碑の除幕式の場面から説き起こし、ロランが上流社会の偽善を告発し対立していたこと、ジャーナリズムからは死後急速に疎んじられ一部の愛好家・友人にしか顧みられなくなったこと、新人の作品を評価し世に送り出したこと、言語感覚に秀でた生まれつきの文学者であり、美を愛し、美術など芸術的な感性にも優れていたこと、そして晩年旅の魅惑を発見したあとの陽光溢れるニースでの幸せなひとときを描いています。最後はまたパリに引き戻されそこで生涯を終えることになりますが。

 

 ユザンヌは、ロランを間近で見た親友の一人として、世間での評価と異なるロランの正直さや善意を繰り返し何度も褒めたたえているのが印象的でした。ロランの文筆家としての才能を高く評価し、作品と頽廃的生活とを峻別しようとしていることがうかがえます。

 

 いくつか印象的だったことを書いておきます。

①ロランが世に送り出した新人の筆頭にレニエの名前がありましたが、地中海やヴェニスへの愛着、18世紀のイタリア趣味、詩文の美しさなどを考えれば、レニエはロランの後継者の筆頭にあるように思います。

②ロランはほんとうは内面の声に忠実な一種の道徳家であった。作家としての実直さから悪徳を描いたということ。それはまた悪徳こそが善行よりも殉教にふさわしいと感じたからだという指摘。

③パーティにピンクのタイツ姿で現れたり、過激な発言で挑発したりしたのは、ロランが次の世紀が宣伝の時代になることを本能的に見抜いていたからだという指摘。

④ロランは自分を卑下して高笑いをしたり、辛辣な小話のあと猥雑な笑いを浮かべたが、親友には、「笑わずには人生を見ることができないんだ。でも笑っているときは深く苦しんでいるんだ。それが私の泣き方だ」と言っていたこと。

 

 もし時間と体力があれば、ロランの生まれたノルマンディ地方を訪れ、生まれ故郷フェカンにあるという記念碑を見てみたいし、最後の5年間を暮らしたというニースのカッシーニ広場の瀟洒な館を見てみたいし、「詩人の名をニースの人や訪れた人たちの記憶にとどめ、独創的な作品と人間性を忘れないようにしたい」という巻末の文章どおり、ユザンヌらの請願でできたジャン・ロラン通りにも足を運んでみたいと夢見ています。

A・デュマ『王妃マルゴ』

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A・デュマ榊原晃三訳『王妃マルゴ 上・下』(河出文庫 1994年)

                                   

 奈良日仏協会のシネ・クラブで、シェロー監督『王妃マルゴ』を鑑賞するというので、ドイツ旅行の行き帰りの機中で原作を読んでみました。これまでデュマ作品は、フランス語で『Mille et un fantômes(1001幽霊譚)』、『Histoire d’un Mort racontée par lui-même(死者自らが語る話)』、『Les frères corses(コルシカの兄弟)』、『La main droite du sire de Giac et autres nouvelles(ジアック侯の右手ほか短編集』、翻訳では『赤い館の騎士』、『鉄仮面』などを読みましたが、本作もいかにもデュマらしい作品でした。

 

 物語の設定は次のようなものです。カトリックプロテスタントの間で抗争が続いていた16世紀のフランス王宮が舞台で、カトリックの国王シャルル9世の母親のカトリーヌ・ド・メディシスは、国王の妹マルゴとプロテスタントのナヴァール国王アンリとを政略結婚させる。ところが結婚式の日に、カトリック側がプロテスタントの招待客たちを皆殺しにするという事件が起こった(聖バルテレミーの虐殺)。占いではアンリが国を継ぐと出たので、カトリーヌはアンリでなくシャルルの弟のアンジュー公に王位を継がせようとし様々な陰謀を画策、シャルルの兄弟それぞれもいろんな思惑を持ちながら行動する。そこにプロテスタントカトリックの闘士たちが入り混じり、マルゴはじめ宮廷の女性たちとの恋愛を描きながら物語は展開する。

 

 デュマらしいというのは、ひとつは読者へのサービス精神から、面白くするために話を盛るということで、冒頭カトリックの闘士とプロテスタントの闘士が相部屋になってその後友情で結ばれるようになったり、カトリック宮廷の王妃の部屋のなかにプロテスタントの闘士が自由に出入りできたりと、荒唐無稽な話がたくさん出てきます。もうひとつは残酷趣味で、ほかの小説ではギロチンが活躍しますが、本作でも最後に首が切り落とされるなど血みどろの場面が数多くありました。さらに言えば、デュマの語りの面白さで、物事をストレートに言わない気の利いたしゃれたセリフ回しやユーモアに満ちた口調が本作でも魅力を発揮していました。

 

 映画を見終わっての感想は、原作と映画はほとんど別物ということです。シネ・クラブ解説者のピエール・シルヴェストリさんが指摘していたとおり、映画では、フェルメールなど16,17世紀のオランダ絵画と見まがうばかりの色彩感、ジェリコーの「メデューズ号の筏」のような裸体表現など視覚的な美しさに溢れ、またヨーロッパ民族音楽風の異国情緒溢れる音楽が印象的でした。シェローは映画と演劇の垣根を取り払おうとしたと言いますが、どう見ても演劇とは異なった映画ならではの作品だと思いました。大勢の群衆のいるシーンをカメラをパンさせて撮ったり、俳優の顔をクローズアップさせ克明な表情を描写するなど、映画の特性が存分に発揮されていました。

 

 原作と映画と異なる点は下記のようなところです。

①原作では、冒頭、宿屋でプロテスタントのモル伯爵とカトリックのココナス伯爵が同宿し賭けに興じる場面から、終盤の二人で処刑される場面まで、二人の友情が小説の大きな軸になっているが、映画ではそれがあまり感じられなかった。小説では、二人は剣の達人で英雄的な描かれ方をしているのが特徴で、また二人の関係がユーモアに満ちた筆致で描かれていたのに、映画ではそうした場面がなく残念だった。

②原作では、プロテスタントの司令官ド・ムーイ・ド・サンファルなど映画には出てこない登場人物もいて、カトリックプロテスタントの駆け引きがもっと複雑。映画では、カトリックプロテスタントの抗争を描くよりは、どちらかというとフランス王家の家族内部の相克を描くのに焦点を当てていた。またシャルル9世が馬鹿殿のような描かれ方をしているのに違和感があった。

③映画では、マルゴが夜仮面をつけて男を漁ったり、ソーヴ男爵夫人が口紅に塗られた毒で毒殺されたりする場面があったが、小説にはなく(と思う)、逆に小説にあったモル伯爵とココナス伯爵が大怪我から二人一緒に回復していく様子や、二人が捕まってからの脱走の画策やマルゴとの最後の接見は映画では描かれていなかった。これがあって初めて最後の処刑の場面が引き立ってくるのだが。

 

 映画と小説の違いは、小説の方が登場人物の多さ、せりふの多さ、ストーリーの複雑さなど、いろんな要素を盛り込めるのに対し、映画では作品の時間的な制約があり、かつビジュアルにする手間がかかるということでしょうか。

マイヤー=フェルスター『アルト=ハイデルベルク』

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マイヤー=フェルスター丸山匠訳『アルト=ハイデルベルク』(岩波文庫 1980年)

 

 実は1週間ほどドイツへ旅行に行っておりました。ハイデルベルクも行程に入れたので、出発前にこの本を読んでみました。学生のころ文庫本でよく見かけましたが、あれは角川文庫だったでしょうか。きれいなカバーがかかっていたような記憶もあります。てっきり小説だと思い込んでおりましたが、今回初めて読んでみて、これが劇作品だということを知りました。日本でも大正時代に松井須磨子主演で初演されて以降、ひと頃定番となっていた演目ということも知りました。

 

 絵にかいたような感傷的な青春物語で、解説で引用されている東山魁夷の言葉「『アルト=ハイデルベルク』が見せかけだけの青春劇であるとしても、私はそれを観て涙を流さずにはいられないだろう」のとおり、分かっていても巻末では涙を禁じえませんでした。

 

 読んでいて、お伽噺的な感じがするのは、まるで別世界の二人の恋であり、異類婚の要素があるからでしょうか。あるいは成就しなかったシンデレラ物語とも言えましょう。また、ネッカー河と古城という背景や、学生団たちが繰り広げる無礼講がゴブリンたちの跋扈を感じさせるからでしょうか。皇室と平民との恋では、男性が平民で女性が王女という逆パターンですが、「ローマの休日」というのがありました。

 

 ここで、讃美されているのは、結婚とは別の恋の形で、青春のひとときの思い出です。先日読んだジャン・ロランの『ムーア風別荘』で、リヴィティノフ夫人が言った「私はこのひとときのことは一生忘れないわ。青春の思い出よ」という言葉を思い出しました。

        

 解説で、幕構成や人物配置に見られるコントラストを際立たせる手法を指摘していましたが、まさにそのとおりで、暗く窮屈な宮廷の儀礼的生活と、明るい風光のなかでの自由奔放な酒乱の生活が対比されています。後者を憧れるのは私だけではないと思います。

 

 ついでに、本作品にも壊れた城として出てくるハイデルベルクの古城と、城から見たネッカー河とハイデルベルクの町の写真をアップしておきます。

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JEAN LORRAIN『LA MANDRAGORE』(ジャン・ロラン『マンドラゴラ』)

 

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JEAN LORRAIN『LA MANDRAGORE』(LE CHAT ROUGE 2018年)

                                   

 フランス書を読むときは、原文を5分の1程度に要約しメモしながら読むようにしていますが、途中でパソコンが壊れたので、そのメモが全部消えてしまい、またやり直さないといけなくなりました。ただ、この本は一種のアンソロジーで、ほかで読んだ作品が多く、実際読んだのは、短篇3篇と、エッセイ1篇、序文評論と、略年譜で、80ページほど。

 

 LE CHAT ROUGEという出版社は、幻想小説が専門らしく、この本の編者で序文も書いているGérald Ducheminという人が出版企画に深くかかわっているようです(自分の小説を2冊も出している)。この前読んだJean Richepinの『Le Coin des fous』のほか、Catulle Mandès、ジャン・ロランの作品、『Les Décadents』というアンソロジーなどがラインアップされています。

 

 この本は、ジャン・ロランのなかで、小動物が大きな役割をしている作品を集めたものです。序文で、編者のジェラルド・デュシュマンは次のように書いています。美しい王妃が蛙の子を産むという「La Mandragore」と、水飲み場で蛙と対面した幼時の恐ろしい体験を回想した「Le Crapaud」を比較すると、前者では憐れみが感じられるが、後者では蛙の気持ち悪さを声高に書き、読者に嫌悪の情を催させようとしている。ロランは自分の悪徳を含め醜いものを吹聴して楽しんだ節があり、親友のラシルドが「悪徳のほら吹き」というあだ名をつけたぐらいだ。本作は、もっとも醜い人間の写し鏡としての動物の話を集めるという観点から編集した。ロランはしばしば美をゆがめるが、それはボードレールからポー、バルザックにも見られる病的な美学の追求に基づくものだ。彼はわれわれの心のうちにある暗黒を一つずつ目覚めさせる。

 

 略年譜では、「La Mandragore」初出時の挿絵を描いたJeanne Jacqueminのプライベートを揶揄した批評で彼女から訴えられ敗訴し、罰金を払うために『La Maison Philibert』を書いたという以外には、とくに目新しい発見はありませんでしたが、ロランの葬儀に「弔問に訪れた半数は、普段から憎んでいたので、本当に死んだか確認に来ただけ」というのが衝撃的でした。

                                   

 短編とエッセイの概略を下記に。

〇Le Chat de Badaud Monier(バド・モニエの猫)

街道からはずれたあばら家に老婆と猫が住んでいたが、その猫がある日喋った。近所の大評判になったが、気ままな猫で、村の助役が来ても知らんふりをしたりした。不思議なことに喋っているとき口は動かないのだった。腹話術を心得ているのか。ある日、猫がお前さん呼ばわりをするのを聞いて、老婆は高熱を発して寝込んでしまい、そして猫は姿を消した。近所の人が看護をしていたら屋根裏で足音がするので、捕えてみると大きな梟だった。しかし老婆は猫の声を聞き続けて死んでしまう。梟を猫と取り違えただけの話と言うこともできるが、老婆のなかではあくまでも猫なのだ。

 

〇L’Egrégore(エグレゴラ)

サロンでの演奏を前に知人が耳元で言う。エグレゴラは吸血鬼や淫夢魔と違って、普通の人間のようにして近づき、犠牲者の心の中に食い入り、心に根を生やして幻惑し死に至らしめる。あそこにいるヨーロッパ随一と言われる歌姫と作曲家の二人がエグレゴラで、歌姫の弟のピアニストが犠牲者だという。演奏中に観察すると、歌姫と作曲家の唇は血のように赤く、弟は血を吸われたように青白くなっていた。サロンでの束の間の幻想。芸術の悪魔的側面を比喩として描いた物語とも読める。

 

〇LORELEY(ローレライ

酔った男たちが一人の娘をめぐって殺し合い10人が死んだ。娘は群衆に取り巻かれ糾弾される。行政官は死刑の前に教会に連れて行けと言い、司祭は修道院に行って二度と男たちの前に姿を見せるなと言い渡す。が人々は許さず彼女を癩病患者収容所へと送る。娘は、3人の護衛に監視されながら収容所へ向かう途上、美しいだけで罪になる理不尽な世を呪い、ライン川を見下ろす岩から身を投げる。ローレライ伝説の前説となるような話。

 

〇LES CONTES(お伽噺)

子どものころ炉端で聞いたお伽噺の思い出を語る。ニューファンドランドから帰ってきた船乗りの話には、霧雨、雪、海の香りがした。それは北の海で雪の女王の橇を見たという話だ。北極の海の彼方に雪の女王の氷の宮殿があるという。その話が頭にこびりついて、深夜の窓から女王の冷たい眼が見える気がして、窓に貼りつく樹の形をした氷も女王の仕業と、子ども心に妄想が広がる。散文詩のようなエッセイ。

 

 少しのあいだ、このブログをお休みします。

ボルノウ『気分の本質』

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O・F・ボルノウ藤縄千艸訳『気分の本質』(筑摩叢書 1973年)

 

 このところパソコンが壊れて暗い気分になっておりますが、それでこの本を取り上げたわけではなく、この本を読んだのはまだ壊れる前のことで、感覚やリズム、身体など哲学の周縁的な問題への一連の興味からです。著者は「日本語版へのまえがき」で、第二次世界大戦の重苦しい気分のなかで、幸福な気分について考えたことがこの本を書いたきっかけだと告白していますし、「あとがき解説」で梅原猛が、戦後ハイデッガーを研究し死の哲学の暗い洞窟のなかにいたとき、この本から射してくる一条の光に救われたと述懐していました。この本には前向きな明るい気分があるように思います。

 

 理性とか合理性への信頼が崩壊し、哲学が探求すべき「人間の固定的本質などというものは存在しない」という認識を背景に、生のより深い基盤を探ろうとする当時の哲学界のなかで、ボルノウは、ハイデッガーが不安を軸に展開した哲学を引き継ぎながら、新たに喜びや愛、信頼に価値を見出そうとしたということのようです。

 

 いかんせん、本を読みながら感想を記していた記録が全部消えてしまい、朦朧とした頭では半分も思い出せませんが、この本の前段では気分の分類と特徴を述べ、後半では、メスカリンで人工的に作り出された陶酔や、プルーストの至福感など、個別の例を解説していたように思います。もう一度ページを繰ってみると、おおよそ次のような指摘が目に留まりました。

 

①気分はもともと音楽的な心の状態を示すものであり、一定の対象を持たない、全体を包む色調である。気分を表現する言葉が「晴れ晴れと」とか「曇った」というような天候に関するものであることがそれを示している。人は常にある気分に支配されており、外部のものがいかに見えるかということはその気分によって条件づけられている。人は幸福な気分を自ら生み出すことはできず、得ようとすればするほど遠ざかっていく。また気分は突然襲ってくるもので、それに気づいたときはすでに内部に行きわたっている。気分には大きく分けて高揚した気分とふさいだ気分がある。

 

②昂揚した気分には、喜びや愉快と、満足・幸福・至福の二種類がある。昂揚した気分の時は他人に対して心を開く。幸福な人は愛することができるが、憎しみを持つことはできない。喜びや愉快は、真剣さの欠如とみなされることもあり、無思慮や放埓に至ると、抑制や理性的思慮を押しのけることとなる。

 

③ふさいだ気分には、無気力さ、絶望など、生命感情の弱まった状態の気分や、悲哀、諦め、運命への服従など、不満、不機嫌さの気分がある。真面目さはふさいだ気分の中に数えられる。悲哀、憂い、苦悩、精神的肉体的苦痛は人を孤独へ追いやり、不愉快にし、不信、憎しみ、嫉妬などの卑屈な気分を起こさせ、人を委縮させる。

 

④この二つの大きいグループ以外に、敬虔、荘重や壮麗の気分がある。また風景的表現で、夕方の気分、月光の気分、また朝の気分などがある。日中の明晰さは気分にとってあまり好都合ではない。人には自らの気分に浸って楽しむということがある。甘い感傷、淡い悲哀、憂鬱がそれである。祝祭は日常の味気ない灰色と対立する。

 

⑤ほかに、気分と同様な意味で使われる言葉に「機嫌」がある。人は良い機嫌になったり悪い機嫌になったりする。動揺によって態度が揺れ動く人間を「機嫌的」(日本語では「気分屋」?)と言う。また気分(機嫌)は損ねられるものである。気分づけられない状態に無色の退屈というものがある。

 

⑥人工的に昂揚した状態を作り出す実験があり、メスカリンによる陶酔の例では、出来事がばらばらに並列するというように時間の感覚が変容し、空間は双眼鏡で覗いているように拡大し、色は光度を増し、聴覚も感受性が著しく高められるということがある。

 

プルーストの時間体験の特色は、小さい目立たないきっかけから至福が突然に訪れるというところにあり、過去の体験が当時にはなかった完全性を持って現れるということにある。その至福感は永遠性の意識を持っているが、ただ過去へ戻ることを指示しているにすぎず、受動性の地平にとどまるという弱点がある。

 

⑧それに比べて、ニーチェにおける「偉大なる真昼」の体験は、新しい生がはじまる決定的な転回点である。時間性を超越することは、存在すること一般の重荷的性格を超越することでもある。このような幸福の瞬間だけが創造的な性格を持っている。

 

⑨昂揚した気分は展開を行なって生の豊かさを形成し、ふさいだ気分は批判的作用をもって吟味を行ない、形態の固定性というものを形づくる。理想は、昂揚した気分とふさいだ気分の交互使用によって、それぞれの持つ長所を統一しバランスを取るということではないか。

 

 気分というものは、自分のなかに生まれるものである一方、外部からやってくる抗しがたいものという面もあります。普段は自らの気分は気にしていませんが、いったん意識すると、気づくことでその気分が加速されるという性質があるように思います。つい気分に捕らわれてしまいがちで、気分の切り替えが自由自在にできるのが理想ですが、なかなかそう簡単にはできないところが情けない。

 

 この本はあくまでも個人の内面に起こる気分を問題にしていますが、社会的な気分というものも考えてみると面白いかもわかりません。どうやって形成されていくのか。経済やメディアの影響、政治の意思決定との関係。一筋縄では行かなさそうです。

下鴨神社の納涼古本まつりほか

 4日ほど前パソコンが急に開けなくなり、古本購入メモをせっかく作っていたのに、取り出せなくなってしまいました。急遽新しいパソコンを買って、古本仲間から、すでに送っていた古本報告のメールを送り返してもらい、なんとか今回の記事に間に合わせることができました。ほかの読書ノートのデータも全部消えてしまったので、データ復旧を依頼しているところです。そんなこともあり、少しの間ブログをお休みすることになりそうです。

 

 まずは、下鴨神社古本市の報告から。「納涼古本まつり」とは名ばかりの酷暑のなか、初日に行ってまいりました。10時ちょっと前に到着、赤尾照文堂の均一台の前で開店を待つ。ここでは、3冊500円の台から

ヴァレリー全集6 詩について』(筑摩書房、73年9月、167円)

ヴァレリー全集7 マラルメ論叢』(筑摩書房、73年10月、167円)

ダニエル・アラス宮下志朗訳『なにも見ていない―名画をめぐる六つの冒険』(白水社、02年10月、166円)

500円均一台から

石原吉郎句集―附俳句評論』(深夜叢書社、74年2月、500円)

竹内勝太郎『西歐藝術風物記』(芸艸堂、昭和10年9月、500円)

を買いました。この間僅か15分程度、午前の部はその後まったく収穫なし。

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 午後の部は暑さでへたって考える気力も湧かず亡霊のようにテントからテントをさ迷いました。下記の2冊のみ。

チャールズ・ラム木村艸太訳『愛と罪(ロザマンド・グレイ)』(櫻井書店、昭和23年1月、300円)

マイヤー=フェルスター丸山匠訳『アルト=ハイデルベルク』(岩波文庫、80年2月、100円)

早々に引き上げ、帰宅後脱水症状かぐったりとしてしまいました。来年からは年寄りは下鴨は考えものです。

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 今週水曜日、会社OB麻雀会へ行く途中に阪神百貨店の横を通ったら、「阪神夏の古書ノ市」というポスターが目に留まりました。そう言えばお盆のころにいつもやっていたと思い出したときはすでに遅く、麻雀会の開始が近づいていたので、うしろ髪を引かれつつ先を急ぎました。ところが不思議なもので、私の組のメンバーの一人が途中で気分が悪くなり中止解散となってしまい、それで阪神百貨店へ行くことができました。午後3時近くで、すでにハイエナに食い尽くされた後の気配がありましたが、下記2冊を購入。

「風信 第2号 シャルル・メリヨン特集」(風信の会、89年6月、1000円)

高山宏『痙攣する地獄』(作品社、95年4月、1200円)

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オークションでは、下記5冊。

マリオ・プラーツ若桑みどり他訳『官能の庭―マニエリスム・エンブレム・バロック』(ありな書房、92年2月、2000円)

張競『夢想と身体の人間博物誌―綺想と現実の東洋』(青土社、14年8月、610円)

亀井俊介『日本近代詩の成立』(南雲堂、16年11月、810円)

ルフレッド・ドゥ・ヴィニー平岡昇譯『詩人の運命―ステルロ』(青木書店、昭和14年1月、200円)

アレクサンドル・デュマ榊原晃三訳『王妃マルゴ 上・下』(河出文庫、94年10月、二冊300円)

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Jean Lorrain『VILLA MAURESQUE』(ジャン・ロラン『ムーア風別荘』)

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Jean Lorrain『VILLA MAURESQUE』(LIVRE MODERNE 1942年)

 

 向うの古本屋でよく見かけた「LE LIVRE MODERNE ILLUSTRÉ」というシリーズの一冊。MICHEL CIRYという人の挿絵がついていました。

 

 ジョルジュ・ノルマンディの序文によると、ジャン・ロランの2作目の小説作品で、1886年に、最初は『Très russe(超ロシア的)』というタイトルで出版され、1914年の再版の際もその題名が使われたが、もとは『VILLA MAURESQUE』というタイトルが付けられていたそうです。「Très russe」は女主人公リヴィティノフ夫人の性格を表わすものとして、「Villa mauresque」はこの物語で主要な役割を果たす建物を指す言葉として、どちらもこの小説にふさわしいタイトルだと思います。同じくロシア貴族の家系を描いた1902年の『ノロンソフ家の人びと』を思わせるような雰囲気はありますが、『ノロンソフ』ほどのグロテスクさはなく、健全な印象がありました。

 

 本作品の魅力は、ノルマンディ地方の海岸の風光美を背景に、芸術家や貴族が訪れる避暑地の夏がありありと描かれているところで、読んでいる間、生駒にいるはずの私もその一員となって、海辺で泳いだり、居酒屋で飲んだり、アヴァンチュールを楽しんだりの気分になりました。主人公の詩人モーリア(ジャン・ロランがモデル)の友人の画家ジャック・アレルが語り手となり、「Villa mauresque」に避暑にきたロシア貴族のリヴィティノフ夫人に対するモーリアと小説家のボーフリラン(モーパッサンがモデル)との恋のつばぜり合いが中心となっています。以下があらすじです。

 

 2年前に、モーリアはフィレンツェで初めて彼女と出会い、その美貌と知性に恋い焦がれて、愛を告白するが冷たくあしらわれた。ところが彼女が旅立つ前日急に呼び出されて一夜を共にする。その後何度手紙を書いてもなしのつぶてだったが、その夏急に、「ノルマンディ沿岸の町イポルのムーア風別荘に滞在している」という連絡が来たところからこの物語は始まる。彼女のまわりには多数の男性の存在が見え隠れしている。正式の結婚は3回で、いずれも財産家と結婚しているが、二人の夫は怪死している。それ以外にも彼女のせいで亡くなった男もいて、多数の金持ちの老人をパトロンにして、豪奢な生活を送っていた。

  モーリアは海辺や森で彼女とデートを重ね、別荘に入りびたりとなるが身体は許してくれず、モーリアはじりじりしている。そんなところへ小説家のボーフリランが博学と甘言で彼女に取り入り割って入ってきた。ある日、こっそり伺うと、夫人が帰ろうとするボーフリランに鍵を渡し微笑むのが見えた。今晩、逢引きするつもりだなと嫉妬して、夫人が夕食を誘うのも断り、夜また不意を襲おうといったん近くの居酒屋へ行くとそこにボーフリランがいた。どうやらここで時間稼ぎをしているらしい。モーリアは語り手アレルのところへ憤激をぶちまけに来て、帰りがけに「ボーフリランの野郎を殺す」と言って去る。棚を見ると銃がなくなっていた。

  深夜、別荘にモーリアが忍び込み、夫人と言い合いをしているところに、案の定ボーフリランがやってくる。夫人はモーリアの銃を奪いボーフリランを招き入れ二人で消える。モーリアが愕然としていると後ろから夫人が現われ、ボーフリランは女中が目当てで忍びこんで来たと明かす。半信半疑のモーリアは夫人に誘われるままに、森を散歩し廃墟の塔の中で愛を交える。明け方、二人で手をつなぎ詩を朗唱しながら森を歩いていると、ボーフリランが満足げに戻ってくるのと出くわすが、なぜか夫人は姿を隠そうとする。どうやらボーフリランを騙して夫人と瓜二つの女中を替え玉にしたらしい。「夫が帰って来る前の日に、二人の争いを見たくなかったから」と言う。不実な愛をなじり激高するモーリアに対して、「後悔してるの?今回の情事は秘密にしてね。私はこのひとときのことは一生忘れないわ。青春の思い出よ」と別れの言葉を告げる。

 

 リヴィティノフ夫人は、男の真剣な心を弄ぶfemme fatale(宿命の女)、la belle dame sans merci(冷酷な美女)の類でしょう。作中でも、ところどころにリヴィティノフ夫人の恋愛哲学をうかがわせるセリフが出てきました。「最初の思い出を永遠に残したいのよ。私は愛した人と二度は身体を任せないの」、「幸せって幻影なのよ」、「男たちは、愛する人の過去には嫉妬するけど未来にはしないのよね。逆に女からすると、愛されたことのない男は気持ち悪いわ。私たち女性は、知り合ってからは他の女に目もくれずにていくれる男性を夢見るのよ」など。

 

 どうやらある程度実話にもとづいて書かれたようで、この小説が出版されてから、モーパッサンとは子どものころから一緒に遊んだ仲だったのに、絶交状態となってしまったようです。ムーア風別荘もまだ残っていて、「モーパッサンはここに住んで多くの作品を書いた」と間違った標示板が貼られているとのこと。モーリアとリヴィティノフ夫人が愛を交えたという廃墟の塔もあるということです。機会があればぜひ行ってみたいものです。

 

 単なる避暑地での上流階級の恋愛を描いた詩的な物語というのではなく、推理小説的なトリックがあったり、機知に富んだ挿話があるなど、いろんな味付けがなされているのがこの本の面白いところです。ロシアの伯爵夫人に愛を告白する詩をかつて捧げた詩人がいまや年老いて盲目になっていたが、やはり年老いて醜くなり寡婦となっていた伯爵夫人がその詩人と結婚して世話しているという挿話がありました。どこかで読んだ気がして、探してみたら、同じロランの『Le vice errant(さまよえる悪徳)』のなかの短篇「La Maison du bonheur(幸福の家)」に同じ話が出ていました。また、モーリアの書斎の描写は、「水族館か海中の洞窟のような雰囲気」、「幻想癖と珍奇癖」、「暗緑の夕暮のような大広間」という言葉に見られるように、「さかしま」のデ・ゼッサントの部屋のような幻惑的雰囲気に満ちていました。

        

 些末な話ですが、ボーフリランが画家のアレルに煙草を進めるとき、「あなたは画家だから恥ずかしい習慣になじんでるでしょ」という言い方をしていました。この時代すでに喫煙に後ろ暗いところがあったということと、画家がそうした風潮に抵抗していたことが分かります。