若松英輔『神秘の夜の旅』


若松英輔『神秘の夜の旅』(トランスビュー 2011年)


 タイトルに惹かれて買いましたが、内容は、越知保夫という50歳で亡くなった文芸批評家についての評論。若松英輔が書いた二冊目の本です(一冊目は、井筒俊彦について書いた本)。前回読んだ二冊に比べると、文章が硬いような気がしますが、若書きのせいか、力が入りすぎているせいか、それとも引用されている越知保夫や、吉満義彦、井筒俊彦の文章がみんな生硬で、それらに引っ張られているせいでしょうか。彼らよりは、まだ若松の文章のほうが、幼いころからキリスト教の説教に親しんでいるせいか、少し柔らかいと思いますが。内容も少し難しくて、よく分からないところもありました。

 ひとこと印象を言えば、越知保夫というあまり世間に知られていない批評家を顕彰しようという意欲が感じられすぎて、自然さが失われているように思いました。例えば、西洋中世の吟遊詩人が歌った愛は、古今集の雅に通じると最初に言ったのは越知だとか、越知は小林秀雄が将来宣長論を書くのを見通していたとか、中村光夫が「祈りの喪失」を論及していると指摘した人は越知の前には居なかったとか。

 この本には、若い日にある知的な探求を開始した人によく起こる現象がみられます。ある人物を探求しようとして、その人物にまつわるいろんなことが次から次へと関連づけられて、視野が広がって行くというあり方です。著者も、文中で、「越知を論究しようと書き進めると、越知以外の人物が、いっそう何かを強く訴えかけてくる衝迫を拭うことができない」(p92)と告白しています。また、「越知は、『小林秀雄論』で単に小林秀雄を論じているのではない。小林に随伴されつつ辿りついた場所の『風景』を、明示しようとつとめている。また、その道行きで、交差した人々を含む『風景』を活写しようとした」(p93)とも書いていますが、これは、若松英輔自身が越知に対してしていることではないでしょうか。

 いくつか私なりに気付いた論点を書いておきます。
①中世では、自然は超自然によって意味づけられていたが、近代になると、そうした超自然とは切り離された自然を新たに発見することになった。近代とは祈りが失われゆく時代とも言えるが、祈りに対立するものが技術とすれば、祈りの喪失とは技術化ということになるが、はたしてそれだけで近代といえるか。
→最後の部分がよく分からない。

②生者間の交流を意味するコミュニケーションとは別に、死者との交わりも意味するコミュニオンという言葉がある。亡くなった人なら今、どう感じ、何を思っているかに思いを馳せることが重要で、死者たちの声に耳を澄まさなければならない。「死者たちはあなたの内部で生きようとしており、自分たちの欲したものをあなたの生命が豊かに展開することを欲している」(アラン)
→言わんとすることは分かるような気もするが、突き詰めるとやはりよく分からない。

③昼は現象の世界だが、夜は実在の世界である。中世の歌人にとって、月を眺めることは、単に美しい天体に見入ることではなく、実在に触れることであった。「地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、何か言いしれぬ魅惑がある」(井筒俊彦)のである。

④哲学者が考え、分析し、謎を解決しようとするのに対して、詩人は逆の歩みを取る。彼は謎を愛し、それをいっそう生々と現前せしめようと願うのである(越知保夫)。

⑤人間、動物、植物、鉱物それぞれは、一つの霊魂から生まれている。それぞれが表象しているのは、一つの霊魂の部分であるが、しかし、無限者である一つの霊魂の内にあることで、不可分的に存在しているのである。もしこの考え方に従うなら、私たちは、「花が存在する」ではなく「存在が花する」と言わなくてはならない。

⑥我々はいちいち自分の認識を疑うわけには行かない。でないと、日常生活が送れなくなってしまう。しかし、我々は、他人と同じものを見聞きしているつもりでいるが、現実は、人それぞれ別の世界を認識している。あたかも我々には共通感覚があるように思っているが、文化が違えば星座の読みも違い、色、音、香の意味も異なる。
→この後、「主体的に働いているのは人間の意識ではなく、逆にものの側ではないか」というようなことを書いています。実は、この最後の展開は上記⑤にもかかわる重要な部分だと思いますが、よく理解できないでいます。

若松英輔の二冊

  
若松英輔『悲しみの秘義』(文春文庫 2023年)
若松英輔『生きる哲学』(文春新書 2016年)


 堀江敏幸の後は若松英輔を少し読んでみます。この二人は、文章の風合いも書いている内容も異なりますが、私のなかではなぜか同じグループのように感じています。二人とも、大学でフランス文学を学んでいて、しかもその大学が早稲田と慶応という仏文の伝統ある両校であること、生まれも近いこと(1964年と1968年)、片や岐阜、片や新潟と地方出身者であること、などがそう思ってしまう理由かもしれません。

 しかし読めばすぐ分かりますが、両者の違いは、堀江のほうがフランス文学の王道に近いところを歩んでいるのに対し、若松英輔はフランス文学からは距離を置いた文芸批評家であり、また実業家でもあり、宗教家でもあるというところです。若松英輔の書籍を読むのは今回が初めてですが、これまで教育テレビの「こころの時代」に出演してるのを見たり、「中央公論」のインタビュー記事を読んだりして、共感していました。

 『悲しみの秘義』が詩人でない人の詩を扱っているとするなら、『生きる哲学』は、哲学者でない人の哲学を扱っているといえるでしょう。この二冊は、とくに宗教家としての一面が濃厚に出ています。奥様を亡くした後に書かれたものなので、全体に死についての考察や死者への鎮魂の思いが感じられるのがその理由です。同じく妻を亡くした堀辰雄原民喜、上原專祿、C・S・ルイス、また妹を亡くした宮沢賢治柳宗悦、夫を亡くした須賀敦子が取り上げられ、師である井上洋治神父への追悼や、万葉集の挽歌、古今和歌集の哀傷歌に関する文章があり、それ以外にも、原爆の災禍、ハンセン病水俣病に直面した原民喜北条民雄石牟礼道子らについて語っています。

 いくつか両書に共通する考え方感じ方があるように思えましたので、私なりの考えを交えて、それを抽出してみます(いろんな人の引用がまじっていますが出典は略)。
①ひとつは、すべてはその人の心に内在しているという思想:知るべきことはすでに私たちの内に存在しており、何かが分かったというとき、それはその人の内に宿っていたものが明るみになるということである。他者の詩を読むことによって自己の内心の奥深く潜むものを知ることがあるが、そもそも初めから本能的に自分に近い言葉を他人の詩の中に見出そうとしているのである。これは、彫刻家が、石に像を刻むのではなく石にあらかじめ存在している像を彫り出そうとする姿勢と共通するものがある。

②外部からの声を聞くことで目覚めさせられるということ:外部の言葉であっても書き写すことによって自らの言葉へと変じていくことがある。また外部からの声に気づかずまたその意味が理解できずに沈黙にしか見えない場合もある。経験に意味が潜んでいたとしても、それが認識されるには時間の経過が必要だからである。犬笛の音が人間の耳には聞こえないように、現代人が容易に認識できない感情があったとしても不思議はない。美を感じとるには、その場の一回性が重要で、我々の内なる光と共鳴するタイミングが重要ということだろう。

③われわれが呼びかけるのではなく、われわれが呼びかけられるのだということ:人麻呂は歌人である前に祭司であり、語る人である前に何ものかが託そうとする言葉を聴く者だった。花は人の呼びかけに応えるのではなく人に呼びかけている。生きることは、世界を変えようと願うことではなく、世界からの語りかけに耳を傾けることである。また悲痛とは、しばらく立ち止まって時間によって癒されるがよい、という人生からの促しなのかもしれない。

④人生の実質というものを大切にしていること:人格というものは絶対的に個的なものであり、固有の意味を持っているものである。人は二つの道を同時に考えることができても、同時に歩むことはできない。またある仕事について知るということと、ある仕事を生きるということは大きく異なる。その仕事の労苦を身をもって感じている者だけが、そこに潜んでいる喜びを見出すことができるのだ。人間を上から眺めている人は、よく見えるかもしれないが、自分が同じ人間であることを忘れてしまっている。

⑤哲学は叡知を愛すること、宗教は求道であり、ともに動くもの生成するものとして捉えなければならないこと:ソクラテスの哲学は真理を言い当てることではなかった。それゆえ生涯を通じて何ら結論を言い残さなかった。情報過多の時代にあって情報に心を占領された者は結論のみを求め考えることを止めてしまっているが、考えるとは、情報の奥にあるものを見極めようとする営為である。宗教も、建物や教義、あるいは教団といった固定化されたものではなく、超越を求めるような働きを意味するものである。

 最後に、色、光、風、自然に関する美しい考察がありましたので、それを紹介しておきます。
『悲しみの秘義』では、

色は、象徴の手段として用いられただけではない。色にはもともと、魂を守護する働きがあると信じられた/p190

『生きる哲学』では、

眼を閉じ、耳を開いて傾聴してみるがよい。いともかすかな気息から荒々しい騒音にいたるまで・・・そこで語っているのは自然そのものである。自然はこのようにその存在、その力、その生命、その諸関係を啓示しているので、無限の可視的世界を拒まれている盲人も、聴覚の世界の中に無限の生命あるものを捉えることができるのである(ゲーテ『色彩論』)/p95

無色は自然界には存在しない。凝視すれば水にさえ色を見ることができる/p102

色とは、彼方の世界からの光が、この世界に顕現したものである(ゲーテ)/p103

緑・・・を植物から引き出し、糸に染め出すことはできない。緑だけでなく、肉眼で植物に見られる色は染め出すことが難しい。桜色は桜の花びらからではなく、花が咲く前の枝や樹皮から生まれる(志村ふくみ)/p107

黄色の染料の元になる植物は皆、燦々と太陽の光を浴びて育った植物である。志村は黄色を「光に最も近い」色だと書いている・・・「黄色の糸を藍甕につける。闇と光の混合である。そして輝くばかりの美しい緑を得るのである」(志村ふくみ『ちよう、はたり』)/p108

人は、常に今にしか生きることができない。やわらかな風は、どこまでも今を愛せと告げる。語るのは自然であり、聴くのが人間であるという公理を、風は幾度となく示そうとする/p121

堀江敏幸『回送電車』ほか

  
堀江敏幸『回送電車』(中公文庫 2008年)
堀江敏幸『一階でも二階でもない夜―回送電車Ⅱ』(中公文庫 2009年)


 堀江敏幸は、この「回送電車」をシリーズ化していて、現在Ⅵまで出版されているようです。『回送電車』の冒頭に、「回送電車主義宣言」というのがあり、その趣旨を次のように説明しています。回送電車というのは、踏切で待っている通行人をあざ笑うかのように通り過ぎてますますイライラを募らせる存在で、特急でも各停でもなく役立たずな一方で業務上必要という中途半端で居候的な性格があり、これは自分の評論や小説、エッセイを横断する散文の性格に近いもので好感を持っていると。これは一種の偏屈の美学と言ってもいいものではないでしょうか。

 偏屈の美学は、テーマとして取り上げるものに表われています。臍麺麭の捩ぢれたのであったり(「贅沢について」)、他の動物との類似を否定することでしか自己を表現できない四不像という動物(「引用について」)、季節に関係のない里程標としての誕生日(「誕生日について」)、上でも下でもないどっちつかずの踊り場(「梗概について」)、あまり見向きもされないトラクター(「三行広告について」)、鶉でも鶏でもないちゃぼ(「さびしさについて」)、二輪にリヤカーをつけたものでもなく四輪の安定感も拒否する三輪自動車(「引っ越しについて」)。

 偏屈の美学へのこだわりはあくまでも心構えのようなものであって、実際には、雑誌や新聞へその都度寄稿した随筆を集めたものですから、いろんなタイプのものが混在しています。それを何か私にはよく分からない基準に従って両冊とも4章に分類して掲載しています。かろうじて推測できるのは、『回送電車』の場合は、4章に分かれたうちの「Ⅰ」が上記の回送電車の趣旨に見合ったエッセイをまとめたもので、「Ⅳ」は身辺の小物について書かれていて題名がカタカナ語でほぼ統一されているということかもしれません。『一階でも二階でもない夜』では、「Ⅱ」が作家についてのエッセイ、「Ⅳ」が身辺雑記といった分類でしょうか。

 基本は、生活や読書を通じて体験したことをもとに綴っていますが、それを私のほうで無理やり仕分けすると、フランス文学者らしくフランスの文学芸術に触れたもの、さらに広げて海外や国内の文学に触れたもの、小学校から中学校にかけての読書体験、フランス滞在中の生活に題材をとったもの、国内の地域に関するもの、道具や食べ物などの消費財やスポーツに関するものなど、種々雑多です。

 近松秋江和田芳恵山口哲夫神西清山川方夫、吉江喬松、八木義徳など、日本のマイナー作家をよく読んでいて教えられることが多いこと。また、身辺雑記で面白いのは時代の風潮が味わえることで、Eメールが登場したばかりの頃の懐かしい話題がちらほらとあったりします。こうした話題の豊富さや、二人の会話体で綴られた「あの彼らの声が…」のように才気走った筆遣いは、随筆の名手と言われた辰野隆の現代版といったところでしょうか。

 全体的な印象としては、魂に触れるような切実な文章と、身辺雑記を洒落た感覚で味付けした軽い読み物とが、混在しているように思われます。私の感覚が古いのかもしれませんが、身辺雑記のなかの消費財に関するものは、ひと頃の都会派雑誌が称揚したような物質文化に汚染されている気がしてあまり歓迎できません。

 なかで私がとくに惹かれたのは、『一階でも二階でもない夜』に含まれたエッセイで、フランシス・ジャムがアルベール・サマンの死を悼む詩を取りあげた「此処に井戸水と葡萄酒があるよ」、須賀敦子、宇佐見英治のそれぞれの文章へのオマージュとともに、束の間の交流を語る「断ち切られた夢」と「存在の明るみに向かって」。いずれも私の好きな文人に関わるエッセイです。他に早稲田の古本街の思い出を語った「古書店は騾馬に乗って」、ハードボイルドな味わいのある「順送りにもたせて生かしときたい火」、初期の作品『郊外へ』に連なる「跨線橋のある駅舎」。

堀江敏幸の二冊

  
堀江敏幸『正弦曲線』(中央公論新社 2010年)
堀江敏幸『その姿の消し方―Pour saluer André Louchet: à la recherche d’un poète inconnu』(新潮社 2017年)                                              


 清水茂や伊藤海彦、矢内原伊作と、最近フランス系エッセイを読んできたので、その流れで読んでみました。堀江敏幸の作品は、98年頃に、『郊外へ』、『おぱらばん』と続けて読んで、小説とエッセイの中間を行くような不思議な境地に引きずり込まれ、フランスものの書き手でそれまでにない新しい感性を持った世代が登場したと衝撃を受けたことを思い出します。

 はっきり覚えていませんが、洒落た文章からは、村上春樹のフランス版のような印象も持ち、村上春樹フィッツジェラルドやカーヴァーなどアメリカ作家から影響を受けたとすれば、堀江敏幸にはモディアーノの影響があるように思いました。その後、『ゼラニウム』、『熊の敷石』を読み、ともに小説的な要素が強くなったというぐらいで、内容はよく覚えてませんが、いずれも高評価をつけています。

 今回は、『正弦曲線』はエッセイ、『その姿の消し方』は長篇小説の体裁をとっています。何と言っても惹きつけられたのは、『その姿の消し方』のほうです。冒頭何とも言えずミステリアスな滑り出し。
留学時代に古物市で偶然古い絵はがきを購入し、その通信面に書かれたぴったり10行の矩形に収められた詩が気になって、古物市の絵はがき屋に、同じような絵はがきがあればと頼んだところ、半年後に1枚、それから1年半後にもう1枚と入手できた。それらすべてに1行の矩形の詩が書かれていて、絵はがきの絵柄、差出人も宛先も同一だったというものです。その詩がまたシュルレアリスム詩のような散文詩でなかなかいい。

それから10年以上経って、再びフランス滞在の機会があったとき、思い切って絵はがきの写真の町へ出かけて役所に問い合わせると、差出人が隣の市の会計検査官だったことが分かり、そこから、その人の孫と会ったり、その会計検査官のポートレートを持っているという古物商から、商工会のパンフレットに落書きされた4番目の詩を入手したりと、新たな展開をしていきます。この謎を追う展開は、モディアーノの小説を思わせます。

 フランス留学時の体験に基づいたエッセイかと思って読み始めましたが、あまりに意外な展開の仕方をするのと、引用されている詩が出来過ぎなので、長篇小説だとするのがまっとうだと思い直しました。しかし事実のような気もするし、どこまでがフィクションでどこまでが事実かよく分かりません。もしこの話がまったく架空の話であるなら、著者の才能は凄いとしか言いようがありません。

 小説としての構成上、謎を解くポイントが複数あり、一つが絵はがきの写真の建物、一つが差出人の名前(住所なし)、一つが宛先の女性の名前と住所、一つが投函された年月、そしてもう一つが、書かれている詩そのものです。途中、その詩の解釈をめぐって、詩行が反復して引用されるのが、詩の味わいを深めて、とても効果的。しかし作者は一方でこう書いています。「もっともらしい読み筋を示したとたん、絵はがきの文言をただ飲み込んだ瞬間の驚きと心地よいめまいは消えてしまう」(p73)。その驚きと心地よいめまいこそが詩の核心です。

 出だしのスリリングな作品では、後半は、期待の重さとのバランスを欠いて失速してしまうことがよくありますが、本作も、冒頭章の「波打つ格子」からちょうど真ん中あたりの「数えられない言葉」の章あたりまでは緊張感が持続しますが、私の読み方のせいもあるのか、その後が散漫な感じになってしまっているのが残念。


 『正弦曲線』は、46の章に分かれたエッセイ集ですが、独特な感性が感じられました。それは、三角関数の正弦からはじまり、地球ゴマ、風景の曲線、階段の歩幅、声の波長の正弦曲線、楕円(オブラート)、上昇気流、グライダー、周期律表、海の深さの測量、曲線軌道、転轍機など、幾何や物理の要素が一つの基調となっていて、それに文学的な見方が加わり、文理の入り混じった独特な境地が醸成されていることです。

 そういうこともあってか、どちらかと言えば、理屈っぽい文章にはなっていますが、日常生活のなかから、他の文芸作家が無視するようなネタをうまく見つけ出す感性はさすがです。本人は田舎育ちと謙遜していますが、なかなかの都会的な感性の持ち主で、団塊の世代の私などとは違う世代的な若さを感じます。

 ただ悪く言えば、前回読んだ伊藤海彦の大人びて落ち着いた筆致と違って、どこか人より一頭地を抜こうとするような、気の利いたフレーズを入れたり、話の最後に落ちをつけずにはおれないようなところがあるのが、少々気になります。別の言い方をすれば、自然ににじみ出るという感覚がなく、つくりもの感が残るということです。『おぱらばん』や『郊外へ』を読んだときは気になりませんでしたが、今から考えると、すでにその要素があったのかもしれません。

Émile Verhaeren『Le Travailleur étrange』(エミール・ヴェルハーレン『奇妙な仕事師』)


Émile Verhaeren『Le Travailleur étrange』(Ombres 2013年)


 この本は、8年前ぐらいにジベール・ジョゼフでたまたま目にした「PETITE BIBLIOTHÈQUE OMBRES(影叢書)」の一冊で、この叢書には、以前読んだPaul Févalの『Le Chevalier Ténèbre(暗黒騎士)』も入っていて、ラインアップが私の好みに合っていたので、買ったものです。13の短篇に、Frans Masereelという人の木版の挿画が54も収められています。

 ヴェルハーレンについては、むかし高村光太郎訳の『天上の炎』というのが文庫本で出ていたのを覚えていますし、同じ訳者による『愛の時』という詩集も所持しています。読んだことはありませんが、白樺派的な明るく実直な作風との印象を持っていました。象徴詩の解説本では、よくローデンバッハと並んで紹介され、神経衰弱三部作『夜』、『壊走』、『黒い松明』という病的な詩もあるとは目にしていましたが、そうしたテーマの散文作品があることも、ヴェルハーレンが自殺を図ったことがあるというのも今回初めて知りました。

 裏表紙の広告文に「du fantastique et de l’insolite(幻想的で異様な)」という文句がありましたが、まさしくinsoliteという言葉がふさわしい異様で頽廃に満ちた短篇が集まっていて、とくに凋落、崩壊、惨劇の場面で筆が冴えます。文章は、散文詩のように凝縮され吟味されているのと、それぞれの短篇が、例えば、「Visite à une fonderie d’art(彫像工場訪問記)」では鋳物用語、「Noël blanc(ホワイト・クリスマス)」ではキリスト教用語、「À l’Éden(エデンの園)」では劇場用語、「À Saint-Sébastien(サン・セバスチャンにて)」「Les arénes de Haro(アーロの闘牛場)」では闘牛用語など、そのテーマに沿った特殊な言葉が使われていて、久々に辞書を引きまくりました。

 各篇に共通するいくつかの特徴がありました。  
①何かをきっかけに世界が変貌する作品があること:芸術作品に囲まれ豪奢な社交生活をしていた一家が凋落する「La villa close(閉じられた別荘)」、キリスト絵画が闖入したことによる異教世界の崩壊を描いた「Contes gras(粘つく話)」、危険な町が一転平和で平穏な町になる「Un soir(ある夕べ)」、劇場終演後に降霊術師の指揮により悪霊が跋扈する「À l’Éden」、単なる田舎の教会が、クリスマスの夜だけマリアや天使が降臨し聖なる光で充満する「Noël blanc」。後の2作品は善から悪、俗から聖という好対照の物語。

②①も含まれるが宗教的な視点のある作品が多いこと:異教の肉感性がテーマの「Visite à une fonderie d’art」、熱心なキリスト信仰を伝える「À Saint-Sébastien」、キリスト教奇蹟譚の「Le travailleur étrange(奇妙な仕事師)」。

③極度の芸術愛好家が登場する作品がある:彫像や絵画、陶磁器の蒐集家が出てくる「La villa close」、卑俗な異教の芸術に浸り夢のなかでも淫する隠居が主人公の「Contes gras」、彫像に聖性を吹き込もうと奮闘する職人の登場する「Le travailleur étrange」。

④心の動揺、神経の苛立ちを内面から描いた作品があること:スリ、泥棒、売春婦の跋扈するスペインの廃れた町を旅し、相棒が居なくなった時に感じる孤独と恐怖感を描いた「Un soir」、廃業寸前の旅籠を運営する兄弟間の憎しみを描いた「À la bonne mort(良死亭)」、仲良し老女三人の何気ない会話に、かつて三人が熱愛し嫉妬し合った美青年の面影が去来する「Les trois amies(三人の仲良し女)」。

⑤ベルギーの農村生活や自然が描かれていること:村人が誇りにしている教会の塔を火災から守ろうとする「Au village(村で)」、農村の馬市の様子と惨劇を描いた「La foire d’Opdorp(オプドルプの市)」のほか、いたるところに村の生活が出てくる。とくに、ヴェルハーレンが幼少期に近くで育ったというエスコー河が何篇かに出てきて印象的。余談ですが、やはりベルギー作家のフランツ・エランスの「エスコー河の潮」というのを読んだことがあります。

 各篇の内容を簡単にまとめてみます(ネタバレ注意)。
1.Visite à une fonderie d’art(彫像工場訪問記)
無骨な労働者の手から美しいヴィーナスが誕生する工程を現場レポート風に綴っている。半裸の労働者たちは裸の女体像にまったく目もくれず作業をしており、ヴィーナスはそれを見て微笑んでるかのようだった。

〇2.La villa close(閉じられた別荘)
芸術品に囲まれ社交的で華やかだった一家があるきっかけで村八分になって財産も破綻、二人の娘と父親はともに病気で死んでしまう。家も、部屋は黴だらけ、家具は傷み、絨毯は虫食い、階段の手すりも外れ、壁にも亀裂が入った。明日には崩壊するだろう。不幸と凋落の美学が横溢した一篇。

◎3.Contes gras(粘つく話)
異教の神々が裸で跋扈する芸術を愛し、天井や壁に張り巡らしていた男が、遺贈された中世の宗教画を部屋に置いた途端に、天井から雫が落ちてきた。雫が雨のようになり、次々と壁の絵が溶解し、部屋がどろどろになって、太鼓腹の中国人形も骸骨のようになってしまった。この絵のせいだと、外へ放り出したが、溶解は止まらない。

◎4.Noël blanc(ホワイト・クリスマス
クリスマスの夜になると、雪で真っ白になった村を銀の衣裳に身を包んだマリア像が教会に向かって歩いてくる。空からは天使が舞い降り、教会のなかでは、天井、祭壇、壁龕、ステンドグラスに居た聖人たちも降りてきて、マリア像が教会に入ると、教会のなかは光で満たされた。翌朝明け方に、鐘突きの若者が教会に着く頃にはまた元へ戻り、若者は何も気づかない。

〇5.À l’Éden(エデンの園
劇場の幕が下り、客たちが馬車に乗って散って行った後、誰も居なくなった劇場のなかでは、隠れていた降霊術師が合図をすると、照明が点き、幽霊が集まってきて、建物を飾っていた神々と大道芸師も混じり、一体となって魔宴を繰り広げる。クレッシェンドのかかる音楽を感じさせる物語。

6.Au village(村で)
村人が自慢する教会の塔に雷が落ちた。村人は何とか火災から守ろうと、教会のまわりに集まり、バケツリレーをするが、火の回りが早く、鐘が落ちて死人が出、騒然とするなか風見鶏が溶け、梁が燃え、塔も崩れて、瞬く間に教会は燃え落ちた。救援隊が駆けつけたが時すでに遅し。これも凋落の一篇。

〇7.La foire d’Opdorp(オプドルプの市)
毎年、馬の市が開かれ、近隣の町から馬を買い付けたり、葬儀社が豪華な4頭立て霊柩車を出品して有名だったが、ある年に、荒れ馬が霊柩車を引っ張り回し、何人かが死に、大勢が負傷するという事件が起きてから、町には不吉なことが連続し、今や市の日もカレンダーから削除されようとしている。荒れ馬の引き起こすカタストロフの描写が眼目。

8.À Saint-Sébastien(サン・セバスチャンにて)
いつもキリスト像に祈りを捧げている女将の宿に、闘牛士の夫妻が泊った。夫が牛と闘っているあいだ、妻は女将とともに、キリスト像の前で無事を祈ったが、夫が牛に殺されたと知ると、闘牛場に駆けつけ、牛の角についた血をハンカチに浸し、取って返してキリスト像に塗りつけた。女将は泣き妻もその横で泣く。

9.Les arénes de Haro(アーロの闘牛場)
剣も赤い布も持たずに牛と対峙する闘牛士がやってくるというので、町は彼の噂で持ち切りだ。真っ白な衣裳に身を包み彫像のように微動だにせず立ち、オーラで牛を立ち去らした彼の姿に、娘たちは夢中となり、牛を殺したほかの闘牛士には目もくれない。

〇10.Un soir(ある夕べ)
スペインの廃れた町に泊まり、親友が外出したあと不安になり探しに外に出るが、乞食や疥癬病み、売春婦に取り囲まれ、這う這うの体で宿に戻る。すると何者かが部屋の前で様子をうかがっており、怖くなって、外に出て夜警を連れて戻ると、メダルを入れた箱がなくなっていた。親友が戻ってきて、明日警察に行こうということになったが、朝起きてみると、町の平穏な様子が気に入り、メダルのことはどうでもよくなった。不安から神経質になる様子を内面から描いた一種表現主義的作品。

11.À la bonne mort(良死亭)
フランドルからの巡礼を大勢受け入れている旅籠だったが、戦争で教会が破壊され、日曜日に、近くの町から呑み助が集まる程度になっていた。父と二人の息子がいたが、父が死ぬと、兄弟の仲が悪くなり、口も利かず、お互い罵るのに手紙を書く始末。ついに客も来なくなった。女中も病に伏せたとき、兄弟はひそかに相手の皿に毒を盛って、同時に死んでいった。旅籠の名前とは裏腹の救いようのない結末。

12.Les trois amies(三人の仲良し女)
毎週木曜午後4時に集まる老女三人。お菓子を食べながらたわいもない話に耽っていたが、教会でミサの途中に亡くなった老人の話となり、三人は心穏やかではなかった。というのは、三人はかつて美青年だったその男に恋し、嫉妬し合っていたからだ。

〇13.Le travailleur étrange(奇妙な仕事師)
昼は独楽や人形の職人だが、実は夜秘密の仕事をしていた。大聖堂のからくり時計の預言者像の一つが半身毀れ、それを直そうと全霊を打ち込むが、どうしても最後の魂が吹き込めない。自分の命と引き換えにと思いながらも自殺は考えなかった。が、鑿で膝を傷つけてしまいそれがもとで死ぬと、なぜか一晩で預言者像は元どおりになっていた。キリスト教奇蹟譚。

伊藤海彦『旋律と風景』


伊藤海彦『旋律と風景』(国文社 1982年)


 伊藤海彦の音楽エッセイ。33の楽曲について、その旋律と分かちがたく繋がっている思い出の風景を綴ったもので、クラシック曲もあれば、タンゴ、シャンソンもあり、東京音頭や尺八曲、大薩摩節という三味線音楽まで入っています。各章のタイトルに楽曲名をつけ、体裁は音楽を起点として文章を綴っているように見せかけてはいますが、実際は、音楽をダシにした一種の青春回想録となっています。読んでいるあいだ心地よい時間を過ごすことができました。

 ひところ、よく読んでいた回顧的な音楽エッセイに連なるものがあります。松井邦雄や塚本邦雄久世光彦など、みんな私より一世代上の人たちです。共通して感じられるのは、私が聴いたこともない曲なのに、取りあげられている音楽に、なぜか懐かしさを覚えることです。この本でも、「淡き光に」というタンゴや、「讃美歌441番」、「谷間の灯」、「ジョリ・シャポー」、シャミナード「フルートコンチェルティノ」など、知らない曲がなぜか心に響き、ぜひ一度聴いてみたいと思わせられました。

 他に聞いたことがあってまたあらためて聴きたいと思った曲は、「センチメンタル・ジャーニー」、メンデルスゾーンヴェニスの舟唄」、ゴセック「ガボット」、ゴダール「ジョスランの子守歌」、「オーヴェルニュの歌」、「リラの花咲く頃」など。

 文章は、心の襞に沁みいるような、セピア色の懐古的なトーンの抒情が溢れていて、終わり方にも余韻が漂っています。どこか梅津時比古の音楽時評と似た静謐さを感じさせるところもありますが、抽象的観念的な表現はあまりなく、具体的な事柄が付随していて、物語的なところが異なっています。

 回想なので、全体が芒洋とした雰囲気に包まれていますが、それを裏付けるように、著者は、リアルな再現よりも、芒洋としたファンタジーを好むと吐露しています。次のような嘆きです。
録音と再生の両面において技術が発達して、原音をリアルに再現できる世の中になり、昔の手回し蓄音機から聞こえていたぼやけたような音や、いかにも遠くから届いたというようなラジオの音を聴かなくなったが、そうなると妙に昔の音が懐かしくなる。レコードは生の演奏とは別のものであっていいし、映画の音響は映画館という暗がりの中から聞こえる、作られた夢の世界のものであっていいのではないか。時代劇も、全体に現実感がありすぎてかえって嘘のおもしろさが失せてしまった。

 印象深い人物が登場するのも特徴のひとつです。戦前、仲間みんなでお別れに讃美歌441番を歌って兵隊に送り出したクリスチャンの友人、音楽に通暁し語るにつれて自分の言葉に酔い次第に熱っぽくなってくるという文化活動の仲間、「君は元気でね」と別れ際に言ってその半年後に自殺した原民喜、「ジョリ・シャポーが好きと言うとみんな馬鹿にするんだ」と顔を赤らめるユリイカ伊達得夫結核になり貧窮のなかで死ぬ直前まで絵を描き続けた島村洋二郎、尺八とフルートの合いの子オークラロという楽器を吹く石見綱、ピアノの大家でありながら芸術家とは縁のないような顔をしていた自由人宅孝二、拷問の傷を持ちながら意外と優しい眼をした元左翼など。また著者が新月社という出版社に勤務していたとき宇佐見英治が編集長がだったとありました。

 著者は暁星出身で、あれだけフランスの音楽や文学、映画に親しみ造詣が深いのに、どうやらフランスに行ったことがないようです。あの時代は簡単には海外へは行けなかったでしょうから、そういう人はたくさんいたと思います。それでなおいっそうフランスへの思慕が高まったと言えそうです。

伊藤海彦の二冊

  
伊藤海彦『季節の濃淡』(国文社 1982年)
伊藤海彦『渚の消息』(湯川書房 1988年)


 久しぶりに伊藤海彦を読んでみました。このブログを始める前、2006年頃に、『きれぎれの空』と編著『詩人の肖像』を読んでいますが、自然の風物を織り込んだ詩人らしい抒情的な文章に魅せられたことを覚えています。今回、その期待はまったく裏切られませんでした。

 『季節の濃淡』がエッセイ、『渚の消息』は散文詩のかたちを取っていますが、ともに同じテーマにもとづく作品。というか、『渚の消息』には、『季節の濃淡』のいくつかの章を散文詩に置き換えただけと思われるものもありました。『渚の消息』は散文詩だけに短く、内容もおおまかで、味わいとしては、詳細かつ論理的具体的に語っている『季節の濃淡』の方にはるかに良質のものを感じました。


 『季節の濃淡』では、花や草木、蝶、魚、鳥、貝、海、雲などの自然を、感受性豊かに細やかに観察し、また、砂、浜辺、石段、窓、氷、火など、日常のありふれたものにまなざしを向け、その根源的な在り方を想像し、詩情あふれる文章として綴っています。

 いくつか例を挙げてみますと、

けもの道とかも味わいがあって私の好きな言葉だが、蝶道はさらに夢幻的な感じがする。さまざまな蝶の翅の絵模様やその飛翔のリズムがうかんでくるのに、道そのものの姿のない所がいい。それはいつもイメージのなかの道、空間の道だ/p10

蝶は・・・魂と呼ばれているあの私たちの中の見えない部分に似ていると思われてならなかった。ゆっくりとひらいたりとじたりするあの翅の動きが、抽出された生命の呼吸(いき)づきのように思えたし、何よりもその「一片(ひとひら)」と呼びたいようなあの軽さが、飛ぶというよりは浮遊しているといった感じを与えるからだ/p13

どの巻貝でもそうだが螺旋状の階段はいつも、それを手にするものにある幻想を抱かせる。テングニシは・・・その突起がこすれていたんでいるだけに、何か古びた城―それも今は住人のいない廃墟となった城を思わせる/p56

公孫樹・・・葉の質が厚く、その黄色が鮮やかなので陽光をうけているとき形容ではなく本当に黄金色に輝いて見える。そして、そびえている樹形そのまま金の炎となって天上へ果てもなくのぼっていくようにさえ見える/p161

 私は、草花の名前もよく知らず、鳥の区別もよく分からない自然音痴ですが、著者は、草木や花の名前もよくご存じで、その魅力を存分に語ってくれ、フジツボや貝のことも詳しいようで、蛇も含め、自然を楽しむすべを教えてくれます。こんな人に連れられて野山や浜辺を歩けば、さぞ楽しいことでしょう。

 著者は、海にも山にも恵まれた鎌倉に住んでいますが、海岸がどんどん埋め立てられ、コンクリートで固められ、自動車用道路ができ、潮だまりが消えていく様子が、随所で語られ、かつて豊かだった自然が失われて行くことを悲しんでいます。そしてそれがこの本の基調となっています。 

 ご自身の性格について触れた文章がいくつかあり、著者の姿が垣間見えたような気がしました。真っ黒になってとびまわり、一日中泳ぎ回ってるというのでなく、泳ぐのがからきし駄目で、潮だまりで一人遊ぶというのが性に合った少年で、けわしい登山はしたことがなく、丘歩きが専門で、道のなかでも小径が好きといいます。


 『渚の消息』は、湯川書房らしい瀟洒な造りの本。ここでも、失われた風景への哀惜が基調になっていました。『季節の濃淡』と共通する話題としては、昔子どもたちがよく鳴らしていた海ホオズキを懐かしむ「海酸漿」(『季節の濃淡』では「もの憂い楽器」)、満ち干きの神秘を語る「潮時表」(「こころの満干」)、海の家で食べたゆであずきを思い出す「夏の序曲」(「海辺の小屋」)、ヒメルリガイへの思慕を語る「空のかけら」(「冬の渚」)、波や風がつくる砂地の美しさに触れた「砂の画布」(「砂の言葉」)、水平線への憧れを綴った「心の傾き」(「生きている『遠方』」)など。


 もっとこの人のエッセイを読みたいですが、あらかた読んでしまったのが残念です。